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09課 霊の結ぶ実は柔和

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작성자 나도람 작성일10-02-18 17:35 조회3,277회 댓글0건

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09課 霊の結ぶ実は柔和


暗唱聖句
【口語訳】 マタ 5:5 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
【新共同訳】 マタ 5:5 柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。
【新改訳改訂第3版】 マタ 5:5 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
【リビング・バイブル】 マタ 5:5 柔和で高ぶらない人は幸福です。 全世界はそういう人のものになるからです。
<NKJV> Mat 5:5 Blessed are the meek,For they shall inherit the earth.
<KJV> Mat 5:5 Blessed are the meek: for they shall inherit the earth.
<NIV> Mat 5:5 Blessed are the meek, / for they will inherit the earth.
<TEV> Mat 5:5 "Happy are those who are humble; /they will receive what God has promised!
J-ばいぶるGREEK 原書講読画面Mat 5:5
maka,rioi oi` praei/j( o[ti auvtoi. klhronomh,sousin th.n gh/n)
@1# maka,rioj maka,rioi a--nm-p 形)主男複 幸いな
@2# o` oi` dnmp 冠)主男 冠詞(この、その)
@3# prau<j praei/j( ap-nm-p 形)主男複 柔和な
@4# o[ti o[ti cs 接)従 ~と、なぜなら
@5# auvto,j auvtoi. npnm3p 代)主男3 彼・それ(三人称の代名詞)、自身(強調用法)、同じ、まさに
@6# klhronome,w klhronomh,sousin vifa--3p 動)直未来能3複 相続する
@7# o` th.n dafs 冠)対女複 冠詞(この、その)
@8# gh/ gh/n) n-af-s 名)対女単 地、土地

安息日午後   今週のテーマ
*弱さは・・・と言われたイエスの言葉とは無縁です
【口語訳】 マタ 11:29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
【新共同訳】 マタ 11:29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
【新改訳改訂第3版】 マタ 11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
【リビング・バイブル】 マタ 11:29 わたしはやさしく、謙そんな者ですから、それこそ負いやすいわたしのくびきを、わたしといっしょに負って、わたしの教えを受けなさい。 そうすれば、あなたがたのたましいは安らかになります。
日曜日  柔和と謙遜
問1
【口語訳】 マタ 11:29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
【新共同訳】 マタ 11:29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
【新改訳改訂第3版】 マタ 11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
【リビング・バイブル】 マタ 11:29 わたしはやさしく、謙そんな者ですから、それこそ負いやすいわたしのくびきを、わたしといっしょに負って、わたしの教えを受けなさい。 そうすれば、あなたがたのたましいは安らかになります。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
〈くびき〉(29)は本来荷を負いやすくするためのものであるが,パリサイ人は多くの規定を生み出して,律法のくびきを重荷にしてしまった.
*柔和な人は自己に執着することがありません
【口語訳】 ルカ 22:42 「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。
【新共同訳】 ルカ 22:42 「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」〔
【新改訳改訂第3版】 ルカ 22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
【リビング・バイブル】 ルカ 22:41 -42こう言い残すと、イエスは、石を投げれば届くあたりまで歩いて行き、ひざまずいて祈り始められました。 「父よ。許していただけるなら、どうぞこの恐ろしい杯を取り除いてください。 ですが……、わたしの思いどおりにではなく、あなたのお心のままになさってください。」 参考   (聖書の達人2聖書辞典)
■にゅうわ 柔和 
柔和は,聖書の中において,しばしば推奨されている.「柔和」を表すヘブル語アーナーウの本来の意味は,卑しい,抑圧された奴隷状態にあることを示し,そこから転じて,自分を神の貧しいしもべと見なし,神の意志に完全に服従し,それゆえ,隣人に対しても怒りや傲慢な思いを抱かない状態を指して用いられるようになった(詩25:9,34:2,37:11,147:6,149:4等の「貧しい」).むしろ,そうした観点から見れば,真の謙遜と同義語的に用いられていると言ってよい. 聖書の中で,柔和な人物の典型とされているのは,イスラエルの指導者モーセである.「さて,モーセという人は,地上のだれにもまさって非常に謙遜(柔和)であった」(民12:3).メシヤ預言の中でも,最もよく知られているものの一つであるゼカ9:9において,来るべき救い主は,「この方は正しい方で,救いを賜わり,柔和で,ろばに乗られる.それも,雌ろばの子の子ろばに」と言われている.これは,イエスのエルサレムへの最後の入城の時に成就した預言である.約束され,待望されていた救い主は柔和な方だったのである(マタ11:29).また,山上の説教の中で,イエスは,「柔和な者は幸いです.その人は地を相続するからです」(マタ5:5)と語り,神の国において柔和がいかに大切なキリスト者としての特質であるかを教えている.パウロもまた,キリスト御自身の人格的特質の一つとして,柔和を強調している(Ⅱコリ10:1.参照ピリ2:8).また,ガラ5:22‐23に列挙されている御霊の実の中にも,柔和が取り上げられている.一方,ペテロも妻に対する教えの中で,「柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ,心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい.これこそ,神の御前に価値あるものです」(Ⅰペテ3:4)と言って,柔和がどんなに神の御前に価値があり,重要であるかを強調している.キリスト者の柔和とは,キリストに支えられ,より現実的な形で,常にたゆまず追い求めるべき具体的な生活目標である.それは私たちがすべての人に対してとるべき態度であり(ガラ6:1,テト3:2),さらに,神に対する信仰の態度である(参照ヤコ1:21).
■けんそん 謙遜 
旧約における謙遜(〈ヘ〉アナーワー)の語源は,困窮や貧しさや苦難の中で「苦しんでいる」「屈服させられた」状態を表す語であり(参照創15:13,16:6,詩18:27,119:67,イザ58:10),そこから「へりくだった」「心砕かれた」「柔和な」態度を意味する謙遜が派生した(民12:3,箴3:34,15:33,18:12,22:4).これは単なる徳目ではなく,苦しみや貧しさの中で神のみに頼らざるを得ないことを知り,そのように生きている人の態度のことである.この謙遜の重要さは,それが神御自身の属性に見られることによる.詩113:5‐6には,神は至高の座におられるのに御自身を低くして天と地を御覧になるとあり,詩18:35では,神の謙遜が神のしもべを大きくすると言っている.そして,その典型をイザ53章の「主のしもべ」に見ることができる.このように謙遜な者は神に喜ばれ,神御自身が最後には高くしてくださる(ヨブ5:11,詩18:27,箴3:34). 新約における謙遜(〈ギ〉タペイノフロシュネー)もほぼ同様のことを意味している.イエス御自身も「だれでも,自分を高くする者は低くされ,自分を低くする者は高くされます」(マタ23:12.参照ルカ14:11,18:14)と語り,謙遜な者は神のさばきに際して高くされることと,神の祝福は謙遜な者に注がれることを教えられた(参照マタ5:3‐5,11:29).パウロはピリ2:8で,謙遜の模範としてのキリストの生涯と十字架の死について述べた後,そのキリストが復活されたように神は謙遜な者を必ず高くすると説く.パウロ自身も苦しみや貧しさの中で耐えることを通して内なる謙遜が培われ,やがてキリストの復活のさまにまで達するようになることを追い求めていると言っている(参照ピリ3:10‐12,4:12).それゆえ,彼は他の弟子たちと共に,イエス・キリストにある者の新しい生き方として,苦しみに耐え,へりくだりと奉仕のわざをし,柔和と謙遜の人格を養うようにと勧めている(エペ4:2,コロ3:12,ヤコ1:9‐10,4:10,Ⅰペテ2:18‐24,5:5‐6等).この謙遜も他の徳と同様,まやかしや誇りとなる危険があることをイエス御自身も,パウロも注意している(参照マタ6:16‐18,マコ2:18‐19,コロ2:18‐23).
問2
【口語訳】 ロマ 12:13 貧しい聖徒を助け、努めて旅人をもてなしなさい。
【新共同訳】 ロマ 12:13 聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。
【新改訳改訂第3版】 ロマ 12:13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。
【リビング・バイブル】 ロマ 12:13 クリスチャンが困っている時には、助けてあげなさい。 客を家に招いてもてなし、宿が必要なら泊めてあげるようにしなさい。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
13節.貧しい聖徒たちを助けることの義務が教えられている.カルヴァンは次のように注解している.「貧しさによって最もはげしく責め立てられ,助けられる必要のある人が,最も顧みられない,ということが一般に行われているのであるから,神は,とりわけ,特別に,この行いを強くすすめたもうのである」.今日の教会に特に有益な勧めである
*エフェソ4:2も柔和の意味を理解する上で助けになります。
【口語訳】 エペ 4:2 できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、
【新共同訳】 エフェ 4:2 一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、
【新改訳改訂第3版】 エペ 4:2 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、
【リビング・バイブル】 エペ 4:2 謙そんで柔和な人になってください。 愛をもって互いの欠点を思いやり、互いに忍耐してください。 月曜日 柔和の模範
*アブラハムが甥のロトと土地を分配したとき
【新共同訳】 創 13:8.9
13:8 アブラムはロトに言った。「わたしたちは親類どうしだ。わたしとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。 13:9 あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」 【新共同訳】 創 13:8.9
13:8 アブラムはロトに言った。「わたしたちは親類どうしだ。わたしとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。 13:9 あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」 【新改訳改訂3】 創 13:8.9
13:8 そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。 13:9 全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」 【リビング・バイブル】 創 13:8.9
13:8 アブラムはロトと話し合うことにしました。 「なあ、ロト、お互いの使用人同士のけんかは、なんとしてもやめさせなきゃなるまい。 身内同士でけんかをしても始まらん。 伯父、甥の仲じゃないか。 これからも仲よくやっていくに、こしたことはない。 13:9 で、こうしようと思うんだが、おまえの意見はどうだ。 まずおまえが、どこでも好きな所を選ぶのだ。 そして、私たちはここで別れる。 おまえが東の方が欲しければ、私はここへ残るし、ここがいいと言うなら、東へ移ることにしよう。」 *ダビデには2度サウルを殺す機会がありました
【口語訳】 サム上 24:3-7
24:3 途中、羊のおりの所にきたが、そこに、ほら穴があり、サウルは足をおおうために、その中にはいった。その時、ダビデとその従者たちは、ほら穴の奥にいた。 24:4 ダビデの従者たちは彼に言った、「主があなたに告げて、『わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。あなたは自分の良いと思うことを彼にすることができる』と言われた日がきたのです」。そこでダビデは立って、ひそかに、サウルの上着のすそを切った。 24:5 しかし後になって、ダビデはサウルの上着のすそを切ったことに、心の責めを感じた。 24:6 ダビデは従者たちに言った、「主が油を注がれたわが君に、わたしがこの事をするのを主は禁じられる。彼は主が油を注がれた者であるから、彼に敵して、わたしの手をのべるのは良くない」。 24:7 ダビデはこれらの言葉をもって従者たちを差し止め、サウルを撃つことを許さなかった。サウルは立って、ほら穴を去り、道を進んだ。 【新共同訳】 サム上 24:3-7
24:3 サウルはイスラエルの全軍からえりすぐった三千の兵を率い、ダビデとその兵を追って「山羊の岩」の付近に向かった。 24:4 途中、羊の囲い場の辺りにさしかかると、そこに洞窟があったので、サウルは用を足すために入ったが、その奥にはダビデとその兵たちが座っていた。 24:5 ダビデの兵は言った。「主があなたに、『わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。思いどおりにするがよい』と約束されたのは、この時のことです。」ダビデは立って行き、サウルの上着の端をひそかに切り取った。 24:6 しかしダビデは、サウルの上着の端を切ったことを後悔し、 24:7 兵に言った。「わたしの主君であり、主が油を注がれた方に、わたしが手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ。」 【新改訳改訂3】 Ⅰサム 24:3-7
24:3 彼が、道ばたの羊の群れの囲い場に来たとき、そこにほら穴があったので、サウルは用をたすためにその中に入った。そのとき、ダビデとその部下は、そのほら穴の奥のほうにすわっていた。 24:4 ダビデの部下はダビデに言った。「今こそ、【主】があなたに、『見よ。わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。彼をあなたのよいと思うようにせよ』と言われた、その時です。」そこでダビデは立ち上がり、サウルの上着のすそを、こっそり切り取った。 24:5 こうして後、ダビデは、サウルの上着のすそを切り取ったことについて心を痛めた。 24:6 彼は部下に言った。「私が、主に逆らって、【主】に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、【主】の前に絶対にできないことだ。彼は【主】に油そそがれた方だから。」 24:7 ダビデはこう言って部下を説き伏せ、彼らがサウルに襲いかかるのを許さなかった。サウルは、ほら穴から出て道を歩いて行った。 【リビング・バイブル】 Ⅰサム 24:3-8
24:3 羊の群れの囲いに沿った道まで来た時、王は用を足そうと、とあるほら穴へ入って行きました。 ところが、驚くなかれ、そのほら穴こそ、ダビデとその手下の隠れ家だったのです。 24:4 手下の者は、「絶好のチャンスです! 神様は、『わたしはサウルをおまえの手に渡す。 思いどおりにせよ』とおっしゃったではありませんか。 いよいよ、その時がきたのです」とささやきました。そこでダビデは、はうように進み、王の上着のすそを、そっと切り取りました。 24:5 ところが、そのことで彼の良心は痛みだしたのです。 24:6 「ああ、なんてことをしてしまったんだ。 とにもかくにも、神様が王としてお選びになった人に手を下すなんて、大それたことではないか。」 24:7 -8このダビデのことばには、皆にサウル殺害を思いとどまらせるに十分な説得力がありました。 【口語訳】 サム上 26:7-12
26:7 こうしてダビデとアビシャイとが夜、民のところへ行ってみると、サウルは陣所のうちに身を横たえて寝ており、そのやりは枕もとに地に突きさしてあった。そしてアブネルと民らとはその周囲に寝ていた。 26:8 アビシャイはダビデに言った、「神はきょう敵をあなたの手に渡されました。どうぞわたしに、彼のやりをもってひと突きで彼を地に刺しとおさせてください。ふたたび突くには及びません」。 26:9 しかしダビデはアビシャイに言った、「彼を殺してはならない。主が油を注がれた者に向かって、手をのべ、罪を得ない者があろうか」。26:10 ダビデはまた言った、「主は生きておられる。主が彼を撃たれるであろう。あるいは彼の死ぬ日が来るであろう。あるいは戦いに下って行って滅びるであろう。 26:11 主が油を注がれた者に向かって、わたしが手をのべることを主は禁じられる。しかし今、そのまくらもとにあるやりと水のびんを取りなさい。そしてわれわれは去ろう」。 26:12 こうしてダビデはサウルの枕もとから、やりと水のびんを取って彼らは去ったが、だれもそれを見ず、だれも知らず、また、だれも目をさまさず、みな眠っていた。主が彼らを深く眠らされたからである。 【新共同訳】 サム上 26:7-12
26:7 ダビデとアビシャイは夜になって兵士に近寄った。サウルは幕営の中に横になって眠り込んでおり、彼の槍はその枕もとの地面に突き刺してあった。アブネルも兵士もその周りで眠っていた。 26:8 アビシャイはダビデに言った。「神は、今日、敵をあなたの手に渡されました。さあ、わたしに槍の一突きで彼を刺し殺させてください。一度でしとめます。」 26:9 ダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない。」 26:10 更に言った。「主は生きておられる。主がサウルを打たれるだろう。時が来て死ぬか、戦に出て殺されるかだ。
26:11 主が油を注がれた方に、わたしが手をかけることを主は決してお許しにならない。今は、枕もとの槍と水差しを取って立ち去ろう。」 26:12 ダビデはサウルの枕もとから槍と水差しを取り、彼らは立ち去った。見ていた者も、気づいた者も、目を覚ました者もなかった。主から送られた深い眠りが彼らを襲い、全員眠り込んでいた。 【新改訳改訂3】 Ⅰサム 26:7-12
26:7 ダビデとアビシャイは夜、民のところに行った。見ると、サウルは幕営の中で横になって寝ており、彼の槍が、その枕もとの地面に突き刺してあった。アブネルも兵士たちも、その回りに眠っていた。
26:8 アビシャイはダビデに言った。「神はきょう、あなたの敵をあなたの手に渡されました。どうぞ私に、あの槍で彼を一気に地に刺し殺させてください。二度することはいりません。」 26:9 しかしダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。【主】に油そそがれた方に手を下して、だれが無罪でおられよう。」 26:10 ダビデは言った。「【主】は生きておられる。【主】は、必ず彼を打たれる。彼はその生涯の終わりに死ぬか、戦いに下ったときに滅ぼされるかだ。 26:11 私が、【主】に油そそがれた方に手を下すなど、【主】の前に絶対にできないことだ。さあ、今は、あの枕もとにある槍と水差しとを取って行くことにしよう。」 26:12 こうしてダビデはサウルの枕もとの槍と水差しとを取り、ふたりは立ち去ったが、だれひとりとしてこれを見た者も、気づいた者も、目をさました者もなかった。【主】が彼らを深い眠りに陥れられたので、みな眠りこけていたからである。 【リビング・バイブル】 Ⅰサム 26:7-12
26:5 -7ある夜、ダビデは王の陣営にもぐり込み、様子を見て回りました。 サウル王とアブネル将軍は、ぐっすり眠りこけている兵士たちに囲まれて寝入っていました。 ダビデは、ヘテ人アヒメレクと、ツェルヤの息子で、ヨアブとは兄弟のアビシャイとに、「だれか私といっしょに行くのを志願せんか」と尋ねました。 アビシャイが、「お供いたします」と進み出ました。 そこでダビデとアビシャイは、サウル王の陣営に行き、眠っている王を見つけました。 枕もとには槍が突き刺してあります。 26:8 アビシャイはダビデの耳もとでささやきました。 「きょうこそ、神様はまちがいなく、敵を討ち取らせてくださいます。 どうか、あの槍で王を刺し殺させてください。 ひと突きでしとめてご覧にいれます。」
26:9 ダビデはそれを制しました。 「殺してはならん。 神様がお選びになった王に手を下して、罪を犯してはならんのだ。 26:10 神様が、いつの日か必ず、王をお打ちになるだろう。 年老いて死ぬか、戦場で倒れるかしてな。 26:11 しかし、神様が王としてお選びになった人を、この手で殺すわけにはいかない。 今はあの槍と水差しを取って行くだけにしよう。」 26:12 こうしてダビデは、槍と水差しを取り、陣営を出て行きました。二人を見た者も目を覚ました者もありませんでした。 神様がぐっすり眠らせてくださっていたからです。 *モーセは誰よりも謙遜であった
【口語訳】 民 12:3 モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた。
【新共同訳】 民 12:3 モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった。
【新改訳改訂第3版】 民 12:3 さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。
【リビング・バイブル】 民 12:3 -4このことを聞かれた神様は、さっそく、モーセとアロンとミリヤムを天幕に呼びつけました。 「三人ともここに来なさい」と言われるままに、神様の前に出ました。 モーセはだれよりも謙そんな人でした。 *モーセは激しく怒り
【口語訳】 出 32:19.20
32:19 モーセが宿営に近づくと、子牛と踊りとを見たので、彼は怒りに燃え、手からかの板を投げうち、これを山のふもとで砕いた。 32:20 また彼らが造った子牛を取って火に焼き、こなごなに砕き、これを水の上にまいて、イスラエルの人々に飲ませた。 【新共同訳】 出 32:19.20
32:19 宿営に近づくと、彼は若い雄牛の像と踊りを見た。モーセは激しく怒って、手に持っていた板を投げつけ、山のふもとで砕いた。 32:20 そして、彼らが造った若い雄牛の像を取って火で焼き、それを粉々に砕いて水の上にまき散らし、イスラエルの人々に飲ませた。 【新改訳改訂3】 出 32:19.20
32:19 宿営に近づいて、子牛と踊りを見るなり、モーセの怒りは燃え上がった。そして手からあの板を投げ捨て、それを山のふもとで砕いてしまった。 32:20 それから、彼らが造った子牛を取り、これを火で焼き、さらにそれを粉々に砕き、それを水の上にまき散らし、イスラエル人に飲ませた。 【リビング・バイブル】 出 32:19.20
32:19 野営地に近づくと、子牛の偶像と踊り狂っている人々の姿が目にはいりました。 それを見たモーセは、むらむらと怒りがこみ上げ、思わず石板を地面に投げつけました。 それは山のふもとで、木端微塵に砕けました。 32:20 彼はやにわに子牛の像をつかみ、火にくべて溶かし、冷えると、今度は粉にして水にまき散らし、人々にむりやり飲ませました。 *イエスは偉大な模範
【口語訳】 マタ 11:29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
【新共同訳】 マタ 11:29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
【新改訳改訂第3版】 マタ 11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
【リビング・バイブル】 マタ 11:29 わたしはやさしく、謙そんな者ですから、それこそ負いやすいわたしのくびきを、わたしといっしょに負って、わたしの教えを受けなさい。 そうすれば、あなたがたのたましいは安らかになります。 *イエスの柔和は?
【口語訳】 ヨハ 18:21-23
18:21 なぜ、わたしに尋ねるのか。わたしが彼らに語ったことは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。わたしの言ったことは、彼らが知っているのだから」。 18:22 イエスがこう言われると、そこに立っていた下役のひとりが、「大祭司にむかって、そのような答をするのか」と言って、平手でイエスを打った。 18:23 イエスは答えられた、「もしわたしが何か悪いことを言ったのなら、その悪い理由を言いなさい。しかし、正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか」。 【新共同訳】 ヨハ 18:21-23
18:21 なぜ、わたしを尋問するのか。わたしが何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々がわたしの話したことを知っている。」 18:22 イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか」と言って、イエスを平手で打った。 18:23 イエスは答えられた。「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」 【新改訳改訂3】 ヨハ 18:21-23
18:21 なぜ、あなたはわたしに尋ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、わたしから聞いた人たちに尋ねなさい。彼らならわたしが話した事がらを知っています。」 18:22 イエスがこう言われたとき、そばに立っていた役人のひとりが、「大祭司にそのような答え方をするのか」と言って、平手でイエスを打った。 18:23 イエスは彼に答えられた。「もしわたしの言ったことが悪いなら、その悪い証拠を示しなさい。しかし、もし正しいなら、なぜ、わたしを打つのか。」 【リビング・バイブル】 ヨハ 18:21-23
18:21 どうして、そんな質問をするのですか。 そのようなことは、わたしの話を聞いた人たちに尋ねればすむのに。 ここにも何人かはいるでしょう。 わたしが何を言ったか、その人たちが一番よく知っています。」 18:22 「無礼者! それが、大祭司様に対する口のきき方かっ!」そばに立っていた役人の一人が、どなりつけざま、平手でイエスをなぐりました。 18:23 イエスは、お答えになりました。 「何か、まちがったことでも言いましたか。 だったら、証拠を見せてください。 正しいことを言う者をなぐる法はないはずです。」 【口語訳】 マタ 26:39 そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。
【新共同訳】 マタ 26:39 少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
【新改訳改訂第3版】 マタ 26:39 それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
【リビング・バイブル】 マタ 26:39 三人にこう頼むと、イエスは少し離れた所に行き、地面にひれ伏して必死に祈られました。 「父よ。 もし、もしできることなら、この杯を取り除いてください。 しかし、わたしの思いどおりにではなく、あなたのお心のままになさってください!」
火曜日 柔和の重要性
【口語訳】 ゼパ 2:3 すべて主の命令を行うこの地のへりくだる者よ、主を求めよ。正義を求めよ。謙遜を求めよ。そうすればあなたがたは主の怒りの日に、あるいは隠されることがあろう。
【新共同訳】 ゼファ 2:3 主を求めよ。主の裁きを行い、苦しみに耐えてきた/この地のすべての人々よ/恵みの業を求めよ、苦しみに耐えることを求めよ。主の怒りの日に/あるいは、身を守られるであろう。
【新改訳改訂第3版】 ゼパ 2:3 主の定めを行うこの国のすべてのへりくだる者よ。【主】を尋ね求めよ。義を求めよ。柔和を求めよ。そうすれば、【主】の怒りの日にかくまわれるかもしれない。
【リビング・バイブル】 ゼパ 2:3 謙そんに神様のおきてに従おうとしている者たちよ、さあ、神様に助けを請え。 *柔和は神のみ言葉を受けるために必要
【口語訳】 ヤコブ 1:21 だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。
【新共同訳】 ヤコブ 1:21 だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。
【新改訳改訂第3版】 ヤコブ 1:21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
【リビング・バイブル】 ヤコブ 1:21 ですから、生活を総点検して、どんな悪をも、すっかり取り除いてしまいなさい。 そして、すばらしい神様のことばを受け入れて、謙虚に喜びなさい。 そのことばには、私たちの心をしっかりとらえ、たましいを救う力があるからです。 *柔和は効果的なあかしのために必要
【口語訳】 一ペテ 3:15 ただ、心の中でキリストを主とあがめなさい。また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい。
【新共同訳】 一ペト 3:15 心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。
【新改訳改訂第3版】 Ⅰペテ 3:15 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
【リビング・バイブル】 Ⅰペテ 3:15 心を動揺させないで、ただ主キリスト様を信じなさい。 もしだれかに、「なぜキリスト様を信じるのか」と尋ねられたら、いつでもその理由を話せるようにしていなさい。 それも、おだやかに、親切な態度で説明すべきです。 *柔和は神の栄光を現す
【口語訳】 一ペテ 3:4 かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである。
【新共同訳】 一ペト 3:4 むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前でまことに価値があるのです。
【新改訳改訂第3版】 Ⅰペテ 3:4 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。
【リビング・バイブル】 Ⅰペテ 3:4 むしろ、やさしく、おだやかな心の持ち主となり、いつまでも色あせのしない魅力で、内面を美しく飾りなさい。 これこそ、神様の目に価値あるものです。  *『汚れのない麻布の衣』と比べることのできるものは何もない
【口語訳】 黙 19:14 そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。
【新共同訳】 黙 19:14 そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い麻の布をまとってこの方に従っていた。
【新改訳改訂第3版】 黙 19:14 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。
【リビング・バイブル】 黙 19:14 天の軍隊は、きよく真っ白な最上の麻布を身につけ、白馬にまたがって、彼に従いました。  *神は約束しておられる
【口語訳】 黙 3:4 しかし、サルデスにはその衣を汚さない人が、数人いる。彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう。彼らは、それにふさわしい者である。
【新共同訳】 黙 3:4 しかし、サルディスには、少数ながら衣を汚さなかった者たちがいる。彼らは、白い衣を着てわたしと共に歩くであろう。そうするにふさわしい者たちだからである。
【新改訳改訂第3版】 黙 3:4 しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。
【リビング・バイブル】 黙 3:4 しかしなお、サルデスの教会には、この世の汚れに衣を染めていない少数の人々がいます。 その人々は白い衣を着て、わたしと共に歩きます。 その資格があるからです。
水曜日 柔和の実を実践する
問3
【口語訳】 マタ 5:39 しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。
【新共同訳】 マタ 5:39 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
【新改訳改訂第3版】 マタ 5:39 しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。
【リビング・バイブル】 マタ 5:39 しかし、わたしはあえて言いましょう。 暴力に暴力で手向かってはいけません。 もし右の頬をなぐられたら、左の頬も向けてやりなさい。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
イエスは,神の御心は復讐をなくすこと,人が仕返ししようとする思いから解放されることにある,と教えようとしている.〈右の頬を打つような者には,左の頬も向けなさい〉(39)は,復讐心から解放された姿を衝撃的に示す1つのイラストである.
【口語訳】 マタ 18:21.22
18:21 そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。 18:22 イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。 【新共同訳】 マタ 18:21.22
18:21 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」 18:22 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。 【新改訳改訂3】 マタ 18:21.22
18:21 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」 18:22 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。 【リビング・バイブル】 マタ 18:21.22
18:21 その時、ペテロが、イエスのそばに来て尋ねました。 「先生。 友達が私に罪を犯した場合、何回ぐらいまで赦してやればいいでしょうか。 七回でしょうか。」 18:22 イエスはお答えになりました。 「いや、七回を七十倍するまでです。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
ペテロの質問は〈私に対して〉(21)兄弟が犯した罪の問題である.3回までは隣人に罪の赦しを請うことが出来るというラビの教えから,〈7度まで〉で十分と考えたのだろう.しかし,イエスの答は〈7度を70倍するまで〉(22)(別訳「77度まで」)である.完全数7の70倍は実質的に「限りなく」の意味.無限の赦しこそ真の赦しである.
【口語訳】 ガラ 6:1 兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。
【新共同訳】 ガラ 6:1 兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。
【新改訳改訂第3版】 ガラ 6:1 兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。
【リビング・バイブル】 ガラ 6:1 愛する皆さん。 一人のクリスチャンが何かあやまちを犯した場合、神様を敬っているあなたがたは、やさしく謙そんな気持ちでその人を助け、正しい道に立ち返らせてやりなさい。 同時に、今度は自分が悪の道に落ち込むかもしれないと、心を引きしめなさい。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
1 〈兄弟たち〉.パウロは深い愛に満ちた呼びかけをし(1:11,3:15,4:12,28),重要な勧めを提示する.「虚栄」(5:26)からの解き放ちは,〈御霊の人〉として聖霊ご自身に導かれ,過ちに陥った人を,御霊の実の1つである〈柔和〉に満たされつつ正し,各自が〈自分自身も誘惑に陥らないように気をつけ〉ることにある
【口語訳】 二テモ 2:24.25
2:24 主の僕たる者は争ってはならない。だれに対しても親切であって、よく教え、よく忍び、 2:25 反対する者を柔和な心で教え導くべきである。おそらく神は、彼らに悔改めの心を与えて、真理を知らせ、 【新共同訳】 二テモ 2:24.25
2:24 主の僕たる者は争わず、すべての人に柔和に接し、教えることができ、よく忍び、 2:25 反抗する者を優しく教え導かねばなりません。神は彼らを悔い改めさせ、真理を認識させてくださるかもしれないのです。 【新改訳改訂3】 Ⅱテモ 2:24.25
2:24 主のしもべが争ってはいけません。むしろ、すべての人に優しくし、よく教え、よく忍び、 2:25 反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。もしかすると、神は彼らに悔い改めの心を与えて真理を悟らせてくださるでしょう。 【リビング・バイブル】 Ⅱテモ 2:24.25
2:24 クリスチャンは争ってはなりません。 過ちを犯している人を、やさしく忍耐をもって正せるようになりなさい。 2:25 真理に逆らう人たちを、謙そんな心で教え、さとしなさい。 おだやかに、思いやりをもって話せば、あるいは神様の助けによって、その人はまちがった考え方を改め、真理を信じるかもしれません。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
主のしもべへの勧めで,特に偽の教えにとらわれている人々への対処法を教える.キリストのしもべは〈争ってはいけません〉が基本.かえって「優しさ」「教える能力」「忍耐」がすべての人に対して備えるべき資質となる.更に,争うのでなく,気短にでなく,ぶっきらぼうにでなく,むしろ〈柔和な心で〉と訓戒する態度が教えられる.訓戒の内容は,相手が反対者故,〈真理を悟らせ〉と正しく教えることと,〈悔い改め〉の促しとなる.ただし,結果は〈もしかすると〉という可能性の範疇であって,自動的にそうなるわけではない.その主権は神にあるからである.しかし,〈もしかすると〉であっても,神の主権に結果をゆだねつつ自らの使命を果すのが〈主のしもべ〉の姿である.
【口語訳】 テトス 3:2 だれをもそしらず、争わず、寛容であって、すべての人に対してどこまでも柔和な態度を示すべきことを、思い出させなさい。
【新共同訳】 テトス 3:2 また、だれをもそしらず、争いを好まず、寛容で、すべての人に心から優しく接しなければならないことを。
【新改訳改訂第3版】 テトス 3:2 また、だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示す者とならせなさい。
【リビング・バイブル】 テトス 3:2 また、人の悪口を言ったり、けんかをしたりせず、やさしい態度で、すべての人に礼儀正しく接するように教えなさい。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
キリスト者の市民は,政府に対してばかりでなく,同じ市民に対しても正しい態度で接すべきである.キリスト者同士が愛し合うことは当然のこととして勧められているが(ガラ6:10),同時に私たちは「外部の人」にもキリスト者にふさわしい態度を示さなければならない(コロ4:5‐6).〈そし〉る(〈ギ〉ブラスフェーメオー)は神に対して多く用いられる語で,「冒涜する」という意味である.キリスト者は神を敬い畏れ,決して冒涜しない.キリスト者は神に対するのと同じ心で,人々にも接するのである
【口語訳】 ピリ 2:2.3
2:2 どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。 2:3 何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。 【新共同訳】 ピリ 2:2.3
2:2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。 2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、 【新改訳改訂3】 ピリ 2:2.3
2:2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。 2:3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。 【リビング・バイブル】 ピリ 2:2.3
2:2 もしそうなら、互いに愛し合い、心からうちとけ合い、心と思いと目的とを一つにして共に働き、私を心から喜ばせてください。 2:3 自己中心的になったり、見栄を張ったりしてはいけません。 謙そんになって、他の人を自分よりもすぐれた者とみなしなさい。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
〈同じ愛の心を持ち〉(2)の〈愛〉は,〈ギ〉アガペーである.〈一致を保ち〉(2)は直訳で「同じことを思い」,〈志を一つにして〉(2)は直訳で「一つことを思い」.〈自己中心〉(3)は〈ギ〉エリーセイアーの訳で,1:17では「党派心」と訳されている 〈へりくだって〉(3)は〈ギ〉タペイノフロシュネーの訳で,同根の動詞〈ギ〉タペイノオーが2:8で「卑しくし」と訳される.〈ギ〉タペイノフロシュネーや同根の形容詞〈ギ〉タペイノスは,ギリシヤ世界では奴隷根性を連想させる卑屈や卑劣なものと見なされていた.旧約聖書がギリシヤ語に訳されて,神の御前でのへりくだりが評価されるようになった.新約時代になると,人の人に対するへりくだりも積極的に評価されるようになったことが死海写本等からうかがうことが出来る.パウロは更にキリストと結び付けて,へりくだりを勧めている(参照コロ2:18,23,3:12,エペ4:2).

木曜日  柔和の報酬
問4
【口語訳】 詩 22:26 貧しい者は食べて飽くことができ、主を尋ね求める者は主をほめたたえるでしょう。どうか、あなたがたの心がとこしえに生きるように。
【新共同訳】 詩 22:27 貧しい人は食べて満ち足り/主を尋ね求める人は主を賛美します。いつまでも健やかな命が与えられますように。
【新改訳改訂第3版】 詩 22:26 悩む者は、食べて、満ち足り、主を尋ね求める人々は、【主】を賛美しましょう。あなたがたの心が、いつまでも生きるように。
【リビング・バイブル】 詩 22:26 貧しい者はたらふく食べて満足し、主を求める者は主を見いだして、御名をほめたたえるでしょう。 その心は永遠の喜びに酔いしれるはずです。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
26節.〈食べて,満ち足り〉とは,神の前での礼拝と食事の交わりのこと(レビ7:16)か
【口語訳】 詩 25:9 へりくだる者を公義に導き、へりくだる者にその道を教えられる。
【新共同訳】 詩 25:9 裁きをして貧しい人を導き/主の道を貧しい人に教えてくださいます。
【新改訳改訂第3版】 詩 25:9 主は貧しい者を公義に導き、貧しい者にご自身の道を教えられる。
【リビング・バイブル】 詩 25:9 謙そんになって主のもとに帰る人に、主は最高の道を教えてくださいます。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
 9節.〈貧しい者〉とは主の前にへりくだる心の貧しい者のことである(マタ5:3).〈公義〉とは行動の規範となる事柄
【口語訳】 詩 37:11 しかし柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる。
【新共同訳】 詩 37:11 貧しい人は地を継ぎ/豊かな平和に自らをゆだねるであろう。
【新改訳改訂第3版】 詩 37:11 しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。
【リビング・バイブル】 詩 37:11 一方、神様の前に謙そんになる人は、ありとあらゆる祝福を受け、ここちよい平安にひたるのです。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
11節.〈貧しい人〉とは悪人の抑圧の下で主に対する従順と信頼の生活を続ける者のこと(参照マタ5:5)
【口語訳】 詩 147:6 主はしえたげられた者をささえ、悪しき者を地に投げ捨てられる。
【新共同訳】 詩 147:6 主は貧しい人々を励まし/逆らう者を地に倒される。
【新改訳改訂第3版】 詩 147:6 【主】は心の貧しい者をささえ、悪者を地面に引き降ろす。
【リビング・バイブル】 詩 147:6 主は謙そんな人を支えられますが、悪者どもは泥の中にねじ伏せられます。 注解  (聖書の達人2聖書注解)
6節は,146:7‐9参照  146:7節の後半から9節まで,〈主〉という言葉が連続5回,文の冒頭に置かれて強調される.「神の力と恵みは,人間の力がくずれ去ったところで正に力をあらわす.……圧迫され,屈められ,捕らわれ,飢え,病み,守りなき人々,たとえば外国人,みなしご,やもめ等のすべてが神のもとに助けと救いを見出す」(A・ヴァイザー).最高の裁判官である神が,権利や助けのない外国人,孤児,寡婦など特別な保護と援助を必要としている者を正しくさばいて下さる.9節.〈悪者の道を曲げ〉るとは,目的地に到達することが出来ないようにすること.新共同訳では「くつがえされる」
【口語訳】 イザ 29:19 柔和な者は主によって新たなる喜びを得、人のなかの貧しい者は/イスラエルの聖者によって楽しみを得る。
【新共同訳】 イザ 29:19 苦しんでいた人々は再び主にあって喜び祝い/貧しい人々は/イスラエルの聖なる方のゆえに喜び躍る。
【新改訳改訂第3版】 イザ 29:19 へりくだる者は【主】によっていよいよ喜び、貧しい人はイスラエルの聖なる方によって楽しむ。
【リビング・バイブル】 イザ 29:19 柔和な人は神様からくる新しい喜びにあふれ、貧しい人はイスラエルのきよい神様によって喜び踊ります。 【口語訳】 マタ 5:5 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
【新共同訳】 マタ 5:5 柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。
【新改訳改訂第3版】 マタ 5:5 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
【リビング・バイブル】 マタ 5:5 柔和で高ぶらない人は幸福です。 全世界はそういう人のものになるからです。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
〈柔和な者〉(5)は柔弱な者ではない.神により頼む故に自己主張から解放された者,神との交わりにより真の強さを与えられ,人を押しのけたりしない者である.十字架の死に敢然と向かったイエスにその模範がある.柔和な者は神から多くのものを託され,それを生かすことが出来るから,〈地を相続する〉ことになる.しかしまた,この約束の最終的な成就は神の国の完成を待たなければならない.

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