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第04課 霊の結ぶ実は平和

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작성자 나도람 작성일10-01-15 20:32 조회3,532회 댓글0건

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第04課 霊の結ぶ実は平和

暗唱聖句
【口語訳】 ヨハ 14:27 わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
【新共同訳】 ヨハ 14:27 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。
【新改訳改訂第3版】 ヨハ 14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
【リビング・バイブル】 ヨハ 14:27 ところで、贈り物をあげましょう。 そう、あなたがたの思いと心を安らかにしてあげる、それがわたしの贈り物です。 わたしが与える平安は、この世が与える、はかない平安とは比べものになりません。 だから、どんな時にも、おろおろしたり、恐れたりしてはいけません。
<NKJV> Joh 14:27 "Peace I leave with you, My peace I give to you; not as the world gives do I give to you. Let not your heart be troubled, neither let it be afraid.
<KJV> Joh 14:27 Peace I leave with you, my peace I give unto you: not as the world giveth, give I unto you. Let not your heart be troubled, neither let it be afraid. <NIV> Joh 14:27 Peace I leave with you; my peace I give you. I do not give to you as the world gives. Do not let your hearts be troubled and do not be afraid. <TEV> Joh 14:27 "Peace is what I leave with you; it is my own peace that I give you. I do not give it as the world does. Do not be worried and upset; do not be afraid.
J-ばいぶるGREEK 原書講読画面Joh 14:27
Eivrh,nhn avfi,hmi u`mi/n( eivrh,nhn th.n evmh.n di,dwmi u`mi/n ouv kaqw.j o` ko,smoj di,dwsin evgw. di,dwmi u`mi/n) mh. tarasse,sqw u`mw/n h` kardi,a mhde. deilia,tw)
@1# eivrh,nh Eivrh,nhn n-af-s 名)対女単 平和
@2# avfi,hmi avfi,hmi vipa--1s 動)直現能1単 行かせる、許す、見捨てる、赦す
@3# su, u`mi/n( npd-2p 代)与2複 あなた
@4# eivrh,nh eivrh,nhn n-af-s 名)対女単 平和
@5# o` th.n dafs 冠)対女複 冠詞(この、その)
@6# evmo,j evmh.n a--af1s 形)対女1単 わたしの、わたしのもの
@7# di,dwmi di,dwmi vipa--1s 動)直現能1単 与える、~させる
@8# su, u`mi/n npd-2p 代)与2複 あなた
@9# ouv ouv qn 不変)否定 ~ない
@10# kaqw,j kaqw.j cs 接)従位 ちょうど~のように、~のゆえに
@11# o` o` dnms 冠)主男 冠詞(この、その)
@12# ko,smoj ko,smoj n-nm-s 名)主男単 世
@13# di,dwmi di,dwsin vipa--3s 動)直現能3単 与える、~させる
@14# evgw, evgw. npn-1s 代)主1単 私、わたし
@15# di,dwmi di,dwmi vipa--1s 動)直現能1単 与える、~させる
@16# su, u`mi/n) npd-2p 代)与2複 あなた
@17# mh, mh. qn 不変)否定 ~ない
@18# tara,ssw tarasse,sqw vmpp--3s 動)命現受3単 恐れ惑う、かき乱す、動揺する
@19# su, u`mw/n npg-2p 代)属2複 あなた
@20# o` h` dnfs 冠)対女 冠詞(この、その)
@21# kardi,a kardi,a n-nf-s 名)主女単 心
@22# mhde, mhde. cc 接)等位 また~してはいけない
@23# deilia,w deilia,tw) vmpa--3s 動)命現能3単 こわがる

安息日午後 今週のテーマ
*パウロは言っています
【口語訳】 エペ 4:3 平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。
【新共同訳】 エフェ 4:3 平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。
【新改訳改訂第3版】 エペ 4:3 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
参考   (聖書の達人2聖書辞典)
■へいわ 平和 〈ヘ〉シャーローム.
イスラエル人にとって,「シャローム」は日常生活における代表的なあいさつであり,祝福のことばである.そしてイスラエル人にとって平和は神がつくるものであり(イザ45:7),神こそ平和の根源であった(ヨブ25:2).シャロームにはただ戦争の対立概念としての平和という意味だけでなく,政治的な意味を越えたもっといろいろな意味が含まれている.たとえば,平安(創15:15,出18:23,詩4:8,イザ55:12),繁栄(詩73:3),健康(詩38:3),和解(ヨシ9:15,Ⅰ列20:18)などである.以上のようにイスラエル人にとって平和は人間生活におけるすべての恵みを表し,これこそ神のわざ,神の賜物である(レビ26:6,詩29:11,122:6‐8,イザ26:12).しかし,平和は神との正しい契約関係において与えられるものであり,神との正しい関係が破れると平和も破れる(詩85:8‐10,イザ26:3,エレ16:5,29:11,エゼ34:25,マラ2:5).聖書は義と平和の密接な関係について述べている(詩85:10,イザ32:17‐18,57:1‐2,59:8,60:17). 新約において平和は〈ギ〉エイレーネーである.これは旧約の〈ヘ〉シャーロームの持つ意味を継承しており,キリストにおいてその意味はさらに強められている(ヨハ14:27,ピリ4:7).主によって与えられる平和は旧約時代から預言されていた(イザ9:6‐7,52:7,60:17,ハガ2:9,ゼカ9:10).人間は罪のためにこのすばらしい真の平和を知らず,暗やみの中を歩んできた(イザ59:8‐9).しかし,キリストの来臨は平和の君の到来であり,旧約時代から待ち望まれていた平和の実現であり,キリストの福音は平和の福音である(ルカ1:79,使10:36,ロマ5:1,コロ3:15,Ⅱテサ3:16). 「わたしは,平和をもたらすために来たのではなく,剣をもたらすために来たのです」(マタ10:34.参照ルカ12:51)との主のことばを文字通りにとる必要はない.妥協のない真の平和は争いや分裂や迫害を通してやってくる.偽りの平和に惑わされてはならない(エゼ13:10,16,Ⅰテサ5:3).キリストこそ敵意を廃棄してまず神と人との平和を確立させ,そこから人と人との和解,国と国との平和を実現する根源である(エペ2:14‐19).今日の国家間の対立や国際的緊張に対してもキリスト者は平和の使者,平和をつくる者(マタ5:9)でなければならない.終末に向けて,サタンはますます強く平和を奪うために働くであろう(参照黙6:4).


日曜日神との平和
*神との間の平和を得る
【口語訳】 コロ 1:21 あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた。
【新共同訳】 コロ 1:21 あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。
【新改訳改訂第3版】 コロ 1:21 あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行いの中にあったのですが、
*神の子として成長するとき
【口語訳】 詩 119:165 あなたのおきてを愛する者には大いなる平安があり、何ものも彼らをつまずかすことはできません。
【新共同訳】 詩 119:165 あなたの律法を愛する人には豊かな平和があり/つまずかせるものはありません。
【新改訳改訂第3版】 詩 119:165 あなたのみおしえを愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。
*コロサイ1:20-22によれば
【口語訳】 コロ 1:20-22
1:20 そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。 1:21 あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた。 1:22 しかし今では、御子はその肉のからだにより、その死をとおして、あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、みまえに立たせて下さったのである。 【新共同訳】 コロ 1:20-22
1:20 その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。 1:21 あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。 1:22 しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。 【新改訳改訂3】 コロ 1:20-22
1:20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。 1:21 あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行いの中にあったのですが、 1:22 今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。 問1
【口語訳】 ロマ 5:1-11
5:1 このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。 5:2 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。 5:3 それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 5:4 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 5:5 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。 5:6 わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。 5:7 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。
5:8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。 5:9 わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。 5:10 もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。 5:11 そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。 【新共同訳】 ロマ 5:1-11
5:1 このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 5:2 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。 5:3 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、 5:4 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。 5:5 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。 5:6 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。 5:7 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。 5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。 5:9 それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。 5:10 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。 5:11 それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。 【新改訳改訂3】 ロマ 5:1-11
5:1 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。 5:2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。 5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。 5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。 5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 5:9 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。 5:10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。 5:11 そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。 【リビング・バイブル】 ロマ 5:1-11
5:1 そういうわけで、私たちは、神様の約束を信じる信仰によって、神の目から見て正しい者とされているのですから、今や神様との間に真の平和を得ています。 それは、私たちの主イエス・キリストのおかげです。 5:2 信仰のゆえに、キリスト様は私たちを、いま立っている、この最高の特権ある立場に導いてくださいました。 そして私たちは、神様の私たちに対する計画がすべて実現するのを、確信と喜びにあふれて待ち望んでいるのです。 5:3 私たちはさらに、さまざまの問題や困難に直面した時も喜ぶことができます。 それは忍耐を学ぶのに役立つからです。 5:4 忍耐によって、私たちの人格は筋金入りにされ、ひいては神様への信頼を深められるのです。 こうしてついに、私たちの希望と信仰は、強く、何ものにも動じなくなるのです。 5:5 そうなった時、どんなことが起ころうと失望落胆せず、また、万事が益であるとわかります。 それは、神様がどんなに深く愛していてくださるか、わかるからです。 私たちは、そのあたたかい愛を全身で感じています。 それは、神様が聖霊様を与えてくださり、その聖霊様が私たちの心に、神様の愛を満たしてくださっているからです。 5:6 私たちが逃れる道もなく、全く窮地に陥っていた、まさにその時、キリスト様はおいでになり、何の役にも立たない、私たち罪人のために死んでくださいました。 5:7 たとい私たちが良い人間であったとしても、だれかが自分のために死んでくれるなどとは、考えてもみなかったでしょう。 もちろん、そういう可能性が全然ないわけではありませんが。 5:8 しかし、私たちがまだ罪人であった時に、神様はキリスト様を遣わしてくださいました。 そのキリスト様が私たちのために死んだことにより、神様は私たちに、大きな愛を示してくださったのです。 5:9 キリスト様は、罪人のために、血さえ流してくださったのですから、神様が私たちを無罪と宣言した今は、もっとすばらしいことをしてくださるに違いありません。 今やキリスト様は、やがて来る神様の怒りから、完全に救い出してくださるのです。 5:10 私たちが神様の敵であった時に、神のひとり息子の死によって、神様のもとに連れ戻されたくらいですから、私たちが神様の友となり、神様が私たちのうちに生きておられる今、どんなにすばらしい祝福が備えられていることでしょう。 5:11 今や私たちは、神様との驚くべき新しい関係を心から喜んでいます。 それはただ、主イエス・キリストが私たちの罪のために死んで成し遂げてくださったこと、すなわち、私たちを神様の友としてくださったことのおかげなのです。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
 1節.信仰によって義とされた私たちは,〈神との平和〉を持っている.この平和は,心の不安が取り除かれるといった主観的なものではなく,キリストの血による贖いによって,神に対する私たちの関係が,不和から平和の関係に決定的に変えられるということである 2節.〈またキリストによって〉は,文字通りには「彼によって」だが,わざわざ繰り返されるのは,このキリストの働きが,〈いま私たちの立っているこの恵み〉と,将来のこととして待ち望んでいる〈神の栄光〉にかかわるものとして理解されているからであろう.今の恵み,そして未来の栄光は,現在,神の右におられて私たちのためにとりなしていて下さるキリストによることを忘れてはならない.〈神の栄光を望んで〉より,「神の栄光にあずかる希望をもって」(口語訳)のほうが,原意をよく伝えている.この神の栄光にあずかるとは,「私たちの卑しいからだを,ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださる」(ピリ3:21)ことを指すのであろう.キリストにある者の希望は,死と終末によって終るものではない.この希望に生きることを最大の喜びとして人生を営むことが出来るのは,キリスト者の輝かしい特権であり,誇りである.〈喜んでいます〉は,新共同訳のように「誇りにしています」と訳すことも出来る 3‐4節.この誇りに生きる者にとっては,患難さえも喜ぶという,この世的な価値判断からは考えられないことが可能になる.なぜなら,患難が,忍耐という輝かしい徳を生み出し,忍耐が,キリストの栄光のかたちにふさわしい品性を生み出し,この〈練られた品性〉が,希望を生み出すことを知っているからである.だから,神の栄光にあずかる希望に生きる信徒は,患難によってかえって希望を確かにされる(Ⅰペテ4:12‐14) 5節.この希望は,確かな根拠に基づいたものであり,失望に終ることがない.その確かな根拠は,〈私たちに与えられた聖霊によって,神の愛が私たちの心に注がれている〉ということである.私たちに対する神の愛であって,神に対する私たちの愛ではない.また,単に,私たちに向けられる神の愛ではなく,私たちの心の中に注ぎ込まれる愛であり,聖霊によって初めて可能とされる確実な恩恵である.〈注がれている〉(〈ギ〉エクケオー)は,与えられる恩恵の豊かさを表す 6節.〈私たちがまだ弱かったとき〉は,8節の「私たちがまだ罪人であったとき」と同じ意味で用いられていると言えるが,特に,罪人の全的無能力を強調していると言えよう.神の愛は,〈不敬虔な者のために死んでくださ〉ったキリストにおいてその極みを見る.〈定められた時〉とは,キリストの来臨とその死が神の永遠のご計画によるものであり,神の愛が確かであることを示す(ガラ4:4) 7‐8節.〈正しい人〉〈情け深い人〉(7)は,人間的判断による相対的評価にすぎないのであって,神の前に罪人であることに変りはない.ここでは,キリストが死んで下さったのは〈私たちがまだ罪人であったとき〉(8)であることを指摘することによって,神の愛の偉大さを際立たせている.〈私たちがまだ罪人であったとき〉という表現は,私たちがもはや罪のさばきのもとにないことを示す(Ⅰヨハ1:7) 9節.〈ですから〉で始められるこの節は,同じく,「ですから」で導入された1節以下の部分を敷衍(ふえん)し,補強する内容となっている.8節の「まだ罪人であったとき」と,この節の〈今すでに……義と認められた〉のコントラストに,神の救いのみわざのもたらす転換の素晴らしさを見る.それは,〈キリストの血によって〉初めて可能となる転換である.〈なおさらのこと〉は,「キリストによって,神との平和を持つ」(1)私たちに,終末の審判において現される神の怒りからの救いが与えられることの確かさを示す(ヨハ3:36,Ⅰテサ1:10,5:9) 10‐11節.ここでは,過去において〈御子の死〉(10)によってもたらされた神との和解と,現在と未来にわたって〈彼(御子)のいのち〉によって与えられる救いが対比される.御子イエス・キリストの謙卑の状態によってもたらされたものと,彼の高く挙げられた状態によって与えられるものとが,対比されて,後者を〈なおさらのこと〉という比較級的語法によって結ぶことで,現在並びに将来においてキリストが私たちに与えて下さる恩恵の豊かさと確かさを示す.復活の主,栄光の主は,彼の命にあずからせて下さる主である.このようにして,〈私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリスト〉(11)の天上の栄光における仲保によって,私たちは,弱さと貧しさと苦しみの中にあっても,〈神を大いに喜んでいる〉者とされるのである

月曜日  平和を得る
問2
【口語訳】 マタ 11:28.29
11:28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 11:29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 【新共同訳】 マタ 11:28.29
11:28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 11:29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 【新改訳改訂3】 マタ 11:28.29
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。 【リビング・バイブル】 マタ 11:28.29
11:28 重いくびきを負って働かされ、疲れはてている人たちよ。 さあ、わたしのところに来なさい。 あなたがたを休ませてあげましょう。 11:29 わたしはやさしく、謙そんな者ですから、それこそ負いやすいわたしのくびきを、わたしといっしょに負って、わたしの教えを受けなさい。 そうすれば、あなたがたのたましいは安らかになります。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
子と父はすべての知識を共有しており,また互いを知っている.子が父を知らせなければ,人は父を知ることは出来ない.このようなイエスであるから,ユダヤ教の律法主義の重荷に〈疲れた〉(28)人々を安息に招くことが出来る.〈くびき〉(29)は本来荷を負いやすくするためのものであるが,パリサイ人は多くの規定を生み出して,律法のくびきを重荷にしてしまった.

火曜日 平和を得る(その2)
問4
【口語訳】 マタ 8:23-27
8:23 それから、イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。 8:24 すると突然、海上に激しい暴風が起って、舟は波にのまれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた。 8:25 そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起し、「主よ、お助けください、わたしたちは死にそうです」と言った。 8:26 するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。 8:27 彼らは驚いて言った、「このかたはどういう人なのだろう。風も海も従わせるとは」。 【新共同訳】 マタ 8:23-27
8:23 イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。 8:24 そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。 8:25 弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。 8:26 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。 8:27 人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。 【新改訳改訂3】 マタ 8:23-27
8:23 イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。 8:24 すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。 8:25 弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」 8:26 イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。 8:27 人々は驚いてこう言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」 【リビング・バイブル】 マタ 8:23-27
8:23 それから、イエスと弟子たちの一行は舟に乗り込み、湖を渡り始めました。 8:24 すると突然、激しい嵐になりました。 舟は今にも、山のような大波にのまれそうです。 ところが、イエスはぐっすり眠っておられます。 8:25 弟子たちはあわてて、イエスを揺り起こし、「主よ。 お助けください。 沈みそうです」と叫びました。 8:26 ところがイエスは、「なんということでしょう! それでも神を信じているのですか。 そんなにこわがったりして」と答えられると、ゆっくり立ち上がり、風と波をおしかりになりました。 するとどうでしょう。 嵐はぴたりとやみ、大なぎになったではありませんか。 8:27 弟子たちは恐ろしさのあまり、その場に座り込み、「いやはや、なんというお方だろう。 風や湖までが従うとはなあ!」と、ささやき合いました。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
すり鉢状のガリラヤ湖に周囲の山から突風が吹き,急に嵐になることがある.今にも沈みそうな小舟の中でパニックに陥り,「私たちは死ぬ」と叫ぶ弟子たちと,静かに眠るイエスは対照的である.イエスがまず弟子たちを叱ったのは,嵐より弟子たちの不信仰が問題であったからである.困難に直面した時こそ信仰を働かせなければならない.それから〈風と湖をしかりつけ〉(26)ると嵐は収まった.詩89:9,107:29はこの種の権威を神に帰している.そこで〈この方はどういう方なのだろう〉(27)という結びの問は,イエスの神性をほのめかしているのかもしれない
【口語訳】 マル 4:35-41
4:35 さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう」と言われた。 4:36 そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。ほかの舟も一緒に行った。 4:37 すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。 4:38 ところが、イエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。 4:39 イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。 4:40 イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。 4:41 彼らは恐れおののいて、互に言った、「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」。 【新共同訳】 マル 4:35-41
4:35 その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。 4:36 そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。 4:37 激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。 4:38 しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。 4:39 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。 4:40 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」 4:41 弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。 【新改訳改訂3】 マル 4:35-41
4:35 さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われた。
4:36 そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。 4:37 すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。
4:38 ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」 4:39 イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。 4:40 イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」 4:41 彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」 【リビング・バイブル】 マル 4:35-41
4:35 夕やみの迫るころ、イエスは弟子たちに、「さあ、湖の向こう岸に渡ろう」と言われました。 4:36 弟子たちは群衆をあとに残し、イエスの乗った小舟をこぎ出しました。 しかし、あとからついて来る舟も、何そうかありました。 4:37 ところが、まもなく、恐ろしい嵐が襲って来たのです。 小舟は大波にほんろうされ、舟は水浸しです。 4:38 イエスはと見れば、とものほうで眠っておられます。 弟子たちは気が気ではありません。 半狂乱のていでイエスを呼び起こしました。 「先生! 舟が沈みかけているのに、よく平気でいられますねっ!」 4:39 イエスはゆっくり起き上がられると、風をおしかりになり、湖に「静まれっ!」と言われました。 するとどうでしょう。 たちまち風はやみ、湖は何事もなかったかのような大なぎになりました。 4:40 イエスは弟子たちに言われました。 「どうしてそんなにこわがるのですか。 まだわたしが信じられないのですか。」 4:41 弟子たちは、ただもう恐怖に打ちのめされて、「ああ、なんというお方だ。 風や湖までが従うとは!」と、ささやき合いました。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
 午後になって舟の上から湖畔の群衆に教えていたイエスは,夕方になると弟子たちの一行と共に向う岸に渡ろうとされた.ガリラヤ湖は,周囲を山に囲まれたすり鉢状の地形の底にあり,午後に突然の嵐が頻発する.嵐は,湖を生活の場としていたペテロやヨハネにも死の恐怖を味わわせるほど強烈であった.うろたえた弟子たちは,叫んでイエスを起した.「起きてください.主よ.なぜ眠っておられるのですか」という訴えが詩篇にあるが(44:23),苦難の中から旧約の聖徒が神に助けを求めたように,弟子たちはイエスに訴えた.〈何とも思われない〉(38)(〈ギ〉ウー・メレイ)は,ヨハ10:13(心にかけていない)にも使われているが,滅んでも気にもかけないのですかとのいらだちの言葉である.マタイとルカでは表現はもっと穏やかである 起き上がった主は大声で風を叱り付け,荒れ狂う湖に〈黙れ,静まれ〉(39)と命じられた.途端に,〈風はやみ,大なぎになった〉(39).単純で明快な命令の言葉と,一瞬にしてその通りになる自然界の有様は,本来神にのみ属する,被造物を支配し,統治する権威(ヨブ38:8‐11,詩74:13‐14,89:9)をイエスが持っておられることを物語る.悪霊を叱り付けるように大自然を叱り付けるお方を初めて目の当りにして,弟子たちは〈大きな恐怖に包まれ〉(41)た.〈いったいこの方はどういう方なのだろう〉(41)と,今まで付き従ってきたイエスを,この奇蹟を契機に見詰め直している 神の御子を舟に乗せながらも,嵐に動揺する弟子たちの不信仰を,イエスは叱責された(40).信仰とは,イエスに対する個人的な信頼のことである
【口語訳】 ルカ 8:22-25
8:22 ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗り込み、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、一同が船出した。 8:23 渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。 8:24 そこで、みそばに寄ってきてイエスを起し、「先生、先生、わたしたちは死にそうです」と言った。イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった。 8:25 イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」。彼らは恐れ驚いて互に言い合った、「いったい、このかたはだれだろう。お命じになると、風も水も従うとは」。 【新共同訳】 ルカ 8:22-25
8:22 ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われたので、船出した。 8:23 渡って行くうちに、イエスは眠ってしまわれた。突風が湖に吹き降ろして来て、彼らは水をかぶり、危なくなった。 8:24 弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれそうです」と言った。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。 8:25 イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。弟子たちは恐れ驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と互いに言った。 【新改訳改訂3】 ルカ 8:22-25
8:22 そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。 8:23 舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。 8:24 そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです」と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も収まり、なぎになった。 8:25 イエスは彼らに、「あなたがたの信仰はどこにあるのです」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」 【リビング・バイブル】 ルカ 8:22-25
8:22 そのころのことです。 ある日、イエスは弟子たちと舟に乗り込み、「さあ、湖の向こう岸に渡ろう」と言われました。 8:23 途中、イエスが横になられ、眠っておられると、風が出てきました。 風はだんだん強くなります。 恐ろしい嵐に、舟は水をかぶって、今にも沈みそうです。 もう一刻の猶予もなりません。 8:24 弟子たちはあわててイエスを揺り起こし、「先生、先生。 舟が沈みそうですっ!」と叫びました。 そこで、イエスはゆっくり起き上がると、「静まれっ!」と嵐に命じられました。 するとどうでしょう。 たちまち風も波もおさまり、何事もなかったかのように静かになりました。 8:25 イエスはおっしゃいました。 「ああ、あなたがたの信仰はどこにあるのですか。」弟子たちは驚くやら恐ろしいやらで、「なんてお方だろう。 風や波までが言うことを聞くとは!」とささやき合いました。
水曜日 家庭における平和
問5
【口語訳】 ヘブル 12:14 すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。
【新共同訳】 ヘブル 12:14 すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。
【新改訳改訂第3版】 ヘブル 12:14 すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。
【リビング・バイブル】 ヘブル 12:14 争いは努めて避け、きよい生活を追い求めなさい。 きよくない人は主を見ることができないからです。 【口語訳】 ロマ 12:18 あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。
【新共同訳】 ロマ 12:18 できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。
【新改訳改訂第3版】 ロマ 12:18 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
【リビング・バイブル】 ロマ 12:18 だれとも争ってはいけません。 できる限りあらゆる人と仲よくしなさい。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
18節.争いを避けて〈すべての人と平和を保〉つことは,容易なことではないが,〈自分に関する限り〉,最善を尽さなければならない
問6
【口語訳】 ロマ 12:9-21
12:9 愛には偽りがあってはならない。悪は憎み退け、善には親しみ結び、12:10 兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい。 12:11 熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、 12:12 望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。 12:13 貧しい聖徒を助け、努めて旅人をもてなしなさい。 12:14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して、のろってはならない。 12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。 12:16 互に思うことをひとつにし、高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。 12:17 だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。 12:18 あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。 12:19 愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。 12:20 むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。 12:21 悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。 【新共同訳】 ロマ 12:9-21
12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、 12:10 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。 12:11 怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。 12:12 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。 12:13 聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。 12:14 あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。 12:15 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。 12:16 互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。 12:17 だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。 12:18 できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。 12:19 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。 12:20 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」 12:21 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。 【新改訳改訂3】 ロマ 12:9-21
12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。 12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。 12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。 12:12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。 12:13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。 12:14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。 12:15 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。 12:16 互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。 12:17 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。 12:18 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。 12:19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」 12:20 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。 12:21 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。 【リビング・バイブル】 ロマ 12:9-21
12:9 ただ見せかけだけで人を愛してはいけません。 真心から愛しなさい。 悪いことを憎み、良いことには味方しなさい。 12:10 兄弟のような愛情で互いに愛し合い、また、心から尊敬し合いなさい。 12:11 決して仕事を怠けず、熱心に主に仕えなさい。 12:12 あなたがたのために神様が計画しておられることすべてを喜びなさい。 困難の中でじっと耐え、常に祈りなさい。 12:13 クリスチャンが困っている時には、助けてあげなさい。 客を家に招いてもてなし、宿が必要なら泊めてあげるようにしなさい。 12:14 クリスチャンだからというので、だれかに危害を加えられても、のろってはいけません。 むしろ、神様がその人を祝福してくださるように祈ってあげなさい。 12:15 だれかがしあわせな思いで喜んでいる時には、いっしょに喜んであげなさい。 悲しんでいる人がいたら、いっしょに悲しんであげなさい。 12:16 互いに心を一つにし、楽しく働きなさい。 お高くとまってはいけません。 偉い人に取り入ろうとせず、かえって、平凡な普通の人々と喜んで交際しなさい。 何でも知っているなどと、思い上がってはいけません。 12:17 悪いことをされても、決して仕返しをしてはいけません。 だれが見ても、あなたがたの正直さを認めるように行動しなさい。 12:18 だれとも争ってはいけません。 できる限りあらゆる人と仲よくしなさい。 12:19 愛する皆さん。 決して自分で復讐してはいけません。 復讐は神様に任せなさい。 なぜなら、神様が、「当然報復を受けなければならない人には、わたしが報復する」と言っておられるからです。 12:20 むしろ、あなたの敵が飢えていたら、食べさせてやりなさい。 のどが渇いていたら、飲ませてやりなさい。 そうすることによって、あなたは、「敵の頭上に燃えさかる炭火を積む」ことになります。つまり、彼は、あなたにしてきたことを思って、恥じ入るようになるのです。 12:21 悪に負けてはいけません。 かえって、善を行なうことによって悪に打ち勝ちなさい。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
9‐10節.聖徒の交わりにおいて,愛がいかに重要であるかは言うまでもない.賜物をもって仕え合う教会の交わりにおいて,愛がなければ,すべてはむなしいものであることは,Ⅰコリ13:1‐3で教えられていることである.〈愛には偽りがあってはなりません〉(9).言葉だけの愛,口先だけの愛ではなく,心からの純粋な動機に基づくものでなければならない.愛における偽善が厳しく退けられる.偽りなき愛はその実践において,〈悪を憎〉む一面と〈善に親し〉む一面との双方が伴わなければならない.教会における愛の交わりは,〈兄弟愛をもって心から互いに愛し合〉う(10)と言われるレベルにまで高められなければならない.そこには,神を父とし,互いを兄弟姉妹とする親しい家族的交わりが与えられる.その交わりを成り立たせるためには,〈尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい〉との勧めが生かされなければならない 11節.〈勤勉で怠らず,霊に燃え,主に仕えなさい〉.主に仕えるのに熱心がなければ,主に喜ばれる奉仕とはならない.「熱くも冷たくもないので,わたしの口からあなたを吐き出そう」(黙3:16)との主の言葉を忘れてはならない 12節.〈望みを抱いて喜び,患難に耐え,絶えず祈りに励みなさい〉.初代教会の聖徒たちの交わりの美しい情景をほうふつとさせる勧めの言葉である.現在,見失われている情景ではないだろうか 13節.貧しい聖徒たちを助けることの義務が教えられている.カルヴァンは次のように注解している.「貧しさによって最もはげしく責め立てられ,助けられる必要のある人が,最も顧みられない,ということが一般に行われているのであるから,神は,とりわけ,特別に,この行いを強くすすめたもうのである」.今日の教会に特に有益な勧めである 14節.〈迫害する者を祝福しなさい〉.赦しと愛の精神を,教会の中だけでなく,教会の外に,迫害する者にも向けるべきことが教えられる.イエスの山上の説教の中の御言葉へと思いを向けられる(マタ5:44) 15節.〈喜ぶ者といっしょに喜び,泣く者といっしょに泣きなさい〉.再び,信徒相互の交わりのあり方が教えられる.教会は,喜びと悲しみを共有する共同体である.他人の喜び,他人の悲しみに無関心であってはならないということである 16節.〈互いに一つ心になり〉は,文字通りには「互いに同じことを思う」という意味.価値観を共有することは一致のために大切なことである.その上に,〈高ぶった思いを持たず,かえって身分の低い者に順応しなさい.自分こそ知者だなどと思ってはいけません〉という厳しい助言に従うことが大切である 17節.〈悪に悪を報いる〉ことが当然なことと受け止められているこの世にあって,キリスト者は,〈だれに対してでも,悪に悪を報いることをせず,すべての人が良いと思うことを図りなさい〉と勧められる
 18節.争いを避けて〈すべての人と平和を保〉つことは,容易なことではないが,〈自分に関する限り〉,最善を尽さなければならない 19節.「平和を保つ」ために,悪に悪を報いることをしないことが大切である.〈自分で復讐〉することは,平和をかき乱し,対立への根を深くするだけである.この世の悪,不正に対して,個人的に報復することは正しくない.なぜなら,〈復讐はわたしのすることである.わたしが報いをする,と主は言われる〉からである(申32:35,箴20:22).自らこぶしを振り上げず,すべてを知っておられる神のこぶしにゆだねることが,平和を保つために有益である 20節.ここでパウロは,旧約聖書の箴25:21‐22を引用して,敵対する者への積極的な愛の行為とその効果について教える.〈もしあなたの敵が飢えたなら,彼に食べさせなさい.渇いたなら,飲ませなさい〉と,積極的に敵に対して助けの手を差し出すことを求める.それは,〈そうすることによって,あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになる〉からである.難しい表現であるが,体中が熱くなるような恥しい思いをさせることを意味しているように思われる.いずれにせよ,愛の行為が結果としてもたらす大きな変化を意味するのであろう 21節.この段落で言われていることの要約であり,結論でもある.〈悪に負けてはいけません〉ということと,〈善をもって悪に打ち勝ちなさい〉ということの2つが求められるのである.復讐によって悪を取り除くことは出来ない.報復は,悪を増幅するのみである

木曜日 教会の中の平和
問7
【口語訳】 マタ 5:23.24
5:23 だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、 5:24 その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。 【新共同訳】 マタ 5:23.24
5:23 だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、 5:24 その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。 【新改訳改訂3】 マタ 5:23.24
5:23 だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、 5:24 供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。 【リビング・バイブル】 マタ 5:23.24
5:23 ですから、神殿の祭壇に供え物をしようとしている時、何か友達に恨まれていることを思い出したら、 5:24 供え物はそのままにして、相手に会ってあやまり、仲直りすることです。 神に供え物をするのはそのあとにしなさい。
注解   (聖書の達人2聖書注解)
和解は神殿で供え物をささげることを中断してでもすべき優先課題(23‐24),時を争う緊急課題である
問8
【口語訳】 マタ 5:9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
【新共同訳】 マタ 5:9 平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。
【新改訳改訂第3版】 マタ 5:9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
【リビング・バイブル】 マタ 5:9 平和をつくり出そうとしている人は幸福です。 そういう人は神の子供と呼ばれるからです。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
イエスの弟子は消極的に平和を守るだけでなく,積極的に破れた関係を修復して平和をつくる.世は争いに満ちているから,和解をもたらす弟子の姿に,人々は神の子のしるしを見る.
問9
【口語訳】 コロ 3:13-15
3:13 互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。 3:14 これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。 3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。 【新共同訳】 コロ 3:13-15
3:13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。 3:14 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。 3:15 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさ

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