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第09課 預言の賜物の誠実さ

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작성자 나도람 작성일09-02-25 00:18 조회4,128회 댓글0건

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第09課 預言の賜物の誠実さ

暗唱聖句
【口語訳】 歴代下 18:13 ミカヤは言った、「主は生きておられる。わが神の言われることをわたしは申します」。
【新共同訳】 歴代下 18:13 ミカヤは、「主は生きておられる。わたしの神が言われる事をわたしは告げる」と言って、
【新改訳改訂第3版】 Ⅱ歴代 18:13 すると、ミカヤは答えた。「【主】は生きておられる。私の神が告げられることを、そのまま述べよう。」
【リビング・バイブル】 Ⅱ歴代 18:13 ミカヤはきっぱり答えました。 「神様にかけて誓います。 私は神様がおっしゃることを、そのまま話します。」 <NKJV> 2Ch 18:13 And Micaiah said, "As the Lord lives, whatever my God says, that I will speak."
<KJV> 2Ch 18:13 And Micaiah said, As the LORD liveth, even what my God saith, that will I speak.
<NIV> 2Ch 18:13 But Micaiah said, "As surely as the LORD lives, I can tell him only what my God says."
<TEV> 2Ch 18:13 But Micaiah answered, "By the living Lord I will say what my God tells me to!"
J-ばいぶるHEBREW 原書講読画面
2Ch 18:13
rm;ayO-rv,a]-ta, yKi hw"hy>-yx; Why>k'ymi rm,aYOw:
rBed;a] Atao yh;l{a/

rbD tae ~yhil{a/ rma rv,a] tae yKi hwhy yx; Why>k'ymi rma w
<文法解析ノート> 2Ch 18:13
1> w (接続詞) @PcN [51275] <10012>…と…
2> rma (動詞Qal継続waw3男単) @vqw3msN [5390] <559>言う,語る,告げる,呼ぶ,答える
3> Why>k'ymi (固有名詞) @npN [21] <4319>ミカヤ
4> yx; (形容詞男単) @amsN [252] <2416>1)生きている,命のある,青い,流れる,新鮮な,生き生きした,はつらつとした,(春の時期の)リバイブしている 2)親族 3)いのち,生命,生活,生計手段,生活維持 4)生き物,いのち,食欲,再生,リバイバル,リニューアル,5)共同体
5> hwhy (固有名詞) @npN [6828] <3068>ヤーゥェ:まことの神の固有名詞 主
6> yKi (前置詞) @PpN [4488] <3588>なぜなら,~なので,しかし,確かに,~以外,本当に,たとえ~でも,
7> tae (定目的語記号) @PoN [11873] <853>目的格記号
8> rv,a] (関係詞) @PrN [5503] <834>・・のところの(関係代名詞),・・ので,ならば,時に(接続詞)
9> rma (動詞Qal未3男単) @vqi3msN [5390] <559>言う,語る,告げる,呼ぶ,答える
10> ~yhil{a/ (普通名詞男複合成形接尾辞1両単) @ncmpcX1csN [2602] <430>神,神々,
11> tae (定目的語記号接尾辞3男単) @PoX3msN [11873] <853>目的格記号
12> rbD (動詞Pi未1両単) @vpi1csN [1145] <1696>話す,語る,宣言する,命じる(Ni)互いに話す(Pi)話す,約束する(Pual)語られる, (Hithpa)話す (Hiph)連れ出す(「ディベル」は、Piel形の発音)

日曜日 預言者の誠実さ
参考   (聖書の達人2聖書辞典)
ミカヤ(〈ヘ〉mikayehu,mikah) イムラの子.アハブの時代のイスラエルの預言者.アハブ王がラモテ・ギルアデに戦いに行こうとした時,400人の預言者に次いで主のみこころを問われ,主によってアハブの死を預言した.しかしそのことゆえに,彼は投獄されてしまった(Ⅰ列22:8‐28,Ⅱ歴18:3‐27).彼はこれ以前にも,王について悪いことばかりを預言した.ヨセフォスの伝承によれば,彼はⅠ列20:35‐43の名の知られていない預言者である.
アハブ (〈ヘ〉ahab) 「父の兄弟」という意味.1.オムリの子で,その後を継いだ.北王国イスラエルの第7代の王として22年間(前874―853年)王位にあった(Ⅰ列16:29).彼はアシュタロテの祭司であるシドンの王エテバアルの娘イゼベルと結婚した(Ⅰ列16:31).アハブはイスラエルにいくつかの町を建て(Ⅰ列16:34,22:39),父オムリによって着手された首都サマリヤの建設を続行した(Ⅰ列16:24,32).彼の宮殿は象牙で建てられ,その富と力を誇示した(Ⅰ列22:39.参照アモ3:15).彼の治世を通じて,アラム(シリヤ)との戦争が頻発したらしい(参照Ⅰ列22:1).彼がイゼベルとの結婚でフェニキヤと同盟を結んだのも,対アラム政策のためであった.アラムの王ベン・ハダデが同盟軍と共に大軍をもってサマリヤを包囲したが,アハブはこれを撃退して彼らに大損害を与えた(Ⅰ列20:1‐21).その後,再び攻めてきたベン・ハダデの大軍とアフェクで戦って大勝したが,アハブはベン・ハダデの生命を助けた.その代償として,サマリヤでアラムの商人に与えられているのと同様の特権をダマスコでイスラエルの商人に与えることを承認させ,休戦の契約を結んだ(Ⅰ列20:26‐34).このように経済的利益を優先させるアハブの姿勢は預言者の非難を買った(Ⅰ列20:35‐43).アッシリヤの年代記によると,前853年,オロンテス川に面したカルカルの戦闘において,アハブは戦車2千,歩兵1万の援軍をもってベン・ハダデを助け,アッシリヤ王シャルマヌエセル3世の南下を阻止することに成功したようである.このアハブの対アッシリヤ戦介入が,後にイスラエルがアッシリヤの侵攻を受ける理由の一つになった.イスラエルがアラムとの戦いに追われている間に,アハブに隷属していたモアブの王メシャが反旗を翻した.アハブは晩年に,ユダの王ヨシャパテと同盟して,またもアラムと対戦した(Ⅰ列22:3).この戦いでアハブは預言者ミカヤの警告を無視してラモテ・ギルアデの戦場に赴き,流れ矢に当って深手を負い,それがもとで死んだ(Ⅰ列22:5‐35).アハブの死体はサマリヤに運ばれて葬られ,その子アハズヤが王位を継いだ(Ⅰ列22:37‐40).アハブの治世の代表的預言者はエリヤであった.アハブは妻イゼベルの影響でサマリヤにバアル礼拝のための神殿を建てることを許し,そこにアシェラ像まで造らせた(Ⅰ列16:32‐33).イゼベルは主の預言者たちを殺したが,100人の預言者がアハブに仕える主のしもべオバデヤによってかくまわれた(Ⅰ列18:3‐4).エリヤはカルメル山でバアルの預言者たちと対決し,勝利を得た(Ⅰ列18:19‐46).アハブがイスラエルの法と公義を踏みにじった例は,イゼベルがイズレエルにある彼の宮殿に隣接するぶどう畑を所有していたナボテを欺き,殺してしまった事件に見られる(Ⅰ列21:1‐16).エリヤはアハブの不正を激しく責め,彼とその妻と彼の王朝の末路を預言した(Ⅰ列21:20‐24).偶像礼拝とイゼベルの悪影響に彩られたアハブの治世は(Ⅰ列21:25‐26),後々まで覚えられ,預言者ミカ(ミカ6:16)の非難を受けている.
問1
【口語訳】 列王上 22:10-18
22:10 さてイスラエルの王およびユダの王ヨシャパテは王の服を着て、サマリヤの門の入口の広場に、おのおのその王座にすわり、預言者たちは皆その前で預言していた。 22:11 ケナアナの子ゼデキヤは鉄の角を造って言った、「主はこう仰せられます、『あなたはこれらの角をもってスリヤびとを突いて彼らを滅ぼしなさい』」。 22:12 預言者たちは皆そのように預言して言った、「ラモテ・ギレアデに上っていって勝利を得なさい。主はそれを王の手にわたされるでしょう」。22:13 さてミカヤを呼びにいった使者は彼に言った、「預言者たちは一致して王に良い事を言いました。どうぞ、あなたも、彼らのひとりの言葉のようにして、良い事を言ってください」。 22:14 ミカヤは言った、「主は生きておられます。主がわたしに言われる事を申しましょう」。 22:15 彼が王の所へ行くと、王は彼に言った、「ミカヤよ、われわれはラモテ・ギレアデに戦いに行くべきでしょうか、あるいは控えるべきでしょうか」。彼は王に言った、「上っていって勝利を得なさい。主はそれを王の手にわたされるでしょう」。 22:16 しかし王は彼に言った、「幾たびあなたを誓わせたら、あなたは主の名をもって、ただ真実のみをわたしに告げるでしょうか」。 22:17 彼は言った、「わたしはイスラエルが皆、牧者のない羊のように、山に散っているのを見ました。すると主は『これらの者は飼主がいない。彼らをそれぞれ安らかに、その家に帰らせよ』と言われました」。 22:18 イスラエルの王はヨシャパテに言った、「彼がわたしについて良い事を預言せず、ただ悪い事だけを預言すると、あなたに告げたではありませんか」。 【新共同訳】 列王上 22:10-18
22:10 イスラエルの王はユダの王ヨシャファトと共に、サマリアの城門の入り口にある麦打ち場で、それぞれ正装して王座に着いていた。預言者たちは皆、その前に出て預言していた。 22:11 ケナアナの子ツィドキヤが数本の鉄の角を作って、「主はこう言われる。これをもってアラムを突き、殲滅せよ」と言うと、
22:12 他の預言者たちも皆同様に預言して、「ラモト・ギレアドに攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と言った。 22:13 ミカヤを呼びに行った使いの者は、ミカヤにこう言い含めた。「いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に幸運を告げています。どうかあなたも、彼らと同じように語り、幸運を告げてください。」 22:14 ミカヤは、「主は生きておられる。主がわたしに言われる事をわたしは告げる」と言って、 22:15 王のもとに来た。王が、「ミカヤよ、我々はラモト・ギレアドに行って戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか、どちらだ」と問うと、彼は、「攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と答えた。 22:16 そこで王が彼に、「何度誓わせたら、お前は主の名によって真実だけをわたしに告げるようになるのか」と言うと、 22:17 彼は答えた。「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました。主は、『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ』と言われました。」 22:18 イスラエルの王はヨシャファトに言った。「あなたに言ったとおりではありませんか。彼はわたしに幸運ではなく、災いばかり預言するのです。」 【新改訳改訂3】 Ⅰ列王 22:10-18
22:10 イスラエルの王と、ユダの王ヨシャパテは、おのおの王服を着て、サマリヤの門の入口にある打ち場の王の座に着き、預言者はみな、ふたりの前で預言していた。 22:11 そのとき、ケナアナの子ゼデキヤは、王のために鉄の角を作って言った。「【主】はこう仰せられます。『これらの角で、あなたはアラムを突いて、絶滅させなければならない。』」 22:12 ほかの預言者たちもみな、同じように預言して言った。「ラモテ・ギルアデに攻め上って勝利を得なさい。【主】は王の手にこれを渡されます。」 22:13 さて、ミカヤを呼びに行った使いの者はミカヤに告げて言った。「いいですか。お願いです。預言者たちは口をそろえて、王に対し良いことを述べています。お願いですから、あなたもみなと全く同じように語り、良いことを述べてください。」 22:14 すると、ミカヤは答えた。「【主】は生きておられる。主が私に告げられることを、そのまま述べよう。」 22:15 彼が王のもとに着くと、王は彼に言った。「ミカヤ。私たちはラモテ・ギルアデに戦いに行くべきだろうか。それとも、やめるべきだろうか。」すると、彼は王に答えた。「攻め上って勝利を得なさい。【主】は王の手にこれを渡されます。」 22:16 すると、王は彼に言った。「いったい、私が何度あなたに誓わせたら、あなたは【主】の名によって真実だけを私に告げるようになるのか。」 22:17 彼は答えた。「私は全イスラエルが、山々に散らされているのを見た。まるで、飼い主のいない羊の群れのように。そのとき、【主】は仰せられた。『彼らには主人がいない。彼らをおのおのその家に無事に帰さなければならない。』」 22:18 イスラエルの王はヨシャパテに言った。「彼は私について良いことを預言せず、悪いことばかりを預言すると、あなたに言っておいたではありませんか。」 注解   <聖書の達人2聖書注解)
〈角〉(11)は救い,贖い(1:50)のほかに,力,高慢(詩75:5)を表し,また意気阻喪(ヨブ16:15)を示すこともある.ゼデキヤの鉄の角による演出にアハブは喜び,ヨシャパテは疑問を抱く ミカヤはアハブが預言者を正しく評価していないことを知っているので,アハブの使いの者の願いに合せて良いこと(偽り)を宣べる(13,15).アハブはミカヤの答がいつもと違うので逆に疑いを持ち,真実を告げることを求める(16).アハブは,自分の考えはいつも真実であり,自分の預言者たち(偽り)と必ず一致するはずとの前提に立つ.(真の)預言者ミカヤの言葉は偽りであると確信しつつ,真実を告げることを求める身勝手さに気付いていない.17節はミカヤの真の幻の描写.他の預言者たちが言葉で告げるのに対し,幻の描写は説得力がある.飼い主(王)を失った羊(民)の敗北の預言.アハブは真実を求めつつ,真実が出て来ると拒否する(18).ミカヤは主の御言葉を聞く預言者の真の実態と経験を示す.天の主の御座の開示は真の預言者にのみ許されること.人々が地上の混乱の中で右往左往する時,人の世の動きから離れ,じっと天上の世界を見詰めるのが預言者である.他の誰も立ち入ることを許されない場面であり,しかもそれは証明し得ないことであった.
*王はミカヤを投獄した
【新共同訳】 列王上22:27 言え。『王はこう言われる。この男を獄につなぎ、わたしが無事に帰って来るまで、わずかな食べ物とわずかな飲み物しか与えるな。』」
月曜日 メッセージの誠実さ
問2
【口語訳】 エレ 43:2-4
43:2 ホシャヤの子アザリヤと、カレヤの子ヨハナンおよび高慢な人々はみなエレミヤに言った、「あなたは偽りを言っている。われわれの神、主が、『エジプトへ行ってそこに住むな』と言わせるためにあなたをつかわされたのではない。 43:3 ネリヤの子バルクがあなたをそそのかして、われわれに逆らわせ、われわれをカルデヤびとの手に渡して殺すか、あるいはバビロンに捕え移させるのだ」。 43:4 こうしてカレヤの子ヨハナンと軍勢の長たちおよび民らは皆、主の声にしたがわず、ユダの地にとどまろうとしなかった。 【新共同訳】 エレ 43:2-4
43:2 ホシャヤの子アザルヤ、カレアの子ヨハナンおよび高慢な人々はエレミヤに向かって言った。「あなたの言っていることは偽りだ。我々の神である主はあなたを遣わしていない。主は、『エジプトへ行って寄留してはならない』と言ってはおられない。 43:3 ネリヤの子バルクがあなたを唆して、我々に対立させ、我々をカルデア人に渡して殺すか、あるいは捕囚としてバビロンへ行かせようとしているのだ。」 43:4 こうして、カレアの子ヨハナンと軍の長たちすべて、および民の全員は、ユダの地にとどまれ、という主の声に聞き従わなかった。 【新改訳改訂3】 エレ 43:2-3
43:2 すると、ホシャヤの子アザルヤと、カレアハの子ヨハナンと、高ぶった人たちはみな、エレミヤに告げて言った。「あなたは偽りを語っている。私たちの神、【主】は『エジプトに行って寄留してはならない』と言わせるために、あなたを遣わされたのではない。 43:3 ネリヤの子バルクが、あなたをそそのかして私たちに逆らわせ、私たちをカルデヤ人の手に渡して、私たちを死なせ、また、私たちをバビロンへ引いて行かせようとしているのだ。」 43:4 カレアハの子ヨハナンと、すべての将校と、すべての民は、「ユダの国にとどまれ」という【主】の御声に聞き従わなかった。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
エレミヤが神の啓示を語り終えると(1),将校たちはエレミヤが偽りを語っていると主張する(2).彼らは,エレミヤはバルクにそそのかされているにすぎないと言って(3),ユダにとどまれとの神の命令には聞き従わなかった(4).
参考   (聖書の達人2聖書辞典)
預言者エレミヤ.旧約聖書中の他の預言者たちに比較すると,エレミヤについては,より詳しい情報を得ることができる.その名,〈ヘ〉イルメヤーフー(またはイルメヤー)は,「ヤハウェ(主)は高められる」あるいは「ヤハウェ(主)は基礎づける」という意味を持っており,一般的な名前と考えられている.旧約聖書中,同名の人物は預言者エレミヤのほかに8名いる(本辞典「エレミヤ」の項を参照). エレミヤは,祭司ヒルキヤの子として,エルサレムの北東約4キロの地点にある寒村アナトテに生れた(1:1).アナトテの地は,かつてカナン定着時にレビ人に与えられた町として記録されているので(ヨシ21:18),祭司的な背景を持った家系に生れたことは確実である.しかし,このヒルキヤは,大祭司ヒルキヤ(Ⅱ列22:4)とは別人であろう.また,祭司エブヤタルがアナトテに自分の地所を持っていた(Ⅰ列2:26)ことからも,エレミヤは何らかの意味で,古い祭司の家系に属していたと思われる.エレミヤが預言者として召されたのは,ユダの王ヨシヤの治世の第13年(エレ1:2),すなわち前627年のことであった.その時,おそらく彼は20歳くらいであったと思われる.彼は預言者として,エルサレムの陥落(前586年)に伴う南王国ユダの滅亡と,バビロン捕囚というイスラエルの民の悲惨な歴史を経験する.後にエジプトに連れて行かれるが,その地でも預言者活動をしばらく継続する(エレ43章).そして彼はおそらくこのエジプトの地で死んだのであろう.預言者エレミヤは,当時の同胞に歓迎されない,エルサレムの滅亡とバビロン捕囚を預言として語らなければならなかった.そのために,彼は偽預言者のようにののしられ,神の代言者としての預言者職がどれほど重いものであり,困難なものであるかを体験した.それゆえ,旧約聖書における預言者の心理を最もよく提示したのはエレミヤであると言えよう.時代的背景.エレミヤの預言者としての活動は,前627年頃から,前583年頃までと一般に考えられている.したがって,エレミヤが預言活動を開始した時,サマリヤに首都をおいていた北王国イスラエルはすでに滅亡し(前722年),そのほとんどの民はアッシリヤに捕囚として連れ去られていた.それゆえ,エルサレムを首都とする南王国ユダは,国の滅亡と捕囚がどんなに悲惨であるかを知っていたのである.サマリヤ陥落後,アッシリヤ帝国はさらに勢力を増し,南ユダにまで脅威を与え,エルサレムまで迫った.その時のユダの善王ヒゼキヤは,預言者イザヤなどの忠告と協力を得て,その圧迫と危機を脱した.しかし,その後には,イスラエルの歴史に悪王としてその名を響かせたマナセが55年の長期間に及んでユダを治め,その間に国は乱れ,偶像礼拝は国中に満ちあふれ,預言者たちは迫害を受けた(Ⅱ列21:1‐16). その影響は,マナセの後2年間王であったアモンに受け継がれた.そのような長期にわたる悪政を経験した民は,自然と何か新しいことを期待し,時代の変化を望んでいたようである.Ⅱ列21:23‐24の記録は,当時の事情をよく示している.幼少のヨシヤは8歳で王位につけられた.ヨシヤは,その時代の期待を受け,善王として側近の者たちの協力を得て,長年にわたり荒れ放題になっていたエルサレム神殿の修理を始めた.その時「律法の書」が発見されたことが契機となって,いわゆるヨシヤ王の宗教改革が行われた(Ⅱ列22:1‐23:25).それは一般に前620年頃のこととされている.その頃になると,アッシリヤの勢力もしだいに弱くなりつつあったので,ヨシヤ王の宗教改革は北イスラエルにまで及んだ(Ⅱ列23:15‐20).エレミヤが預言者として召命を受けたのは,ヨシヤ王の第13年であったから(1:2),前627年であり,宗教改革の6年前であった.エレミヤは,マナセの悪政については聞き及んでいたようである.それゆえ,エレミヤはヨシヤの宗教改革に,少なくともその初期の段階においては積極的に協力したようである.しかし,その宗教改革が,しだいに国家的な中央集権の権力による改革へと移行する傾向が出てくるにつれて,心の改革,霊的な新生を強調する預言者エレミヤは,あまり積極的に協力しなくなったとも考えられる. その頃,アッシリヤに代ってエジプトが勢力を北に伸し,当時のエジプト王(パロ)であったネコはユダに脅威を与えた.ヨシヤ王はメギドの戦いで戦死した(Ⅱ列23:28‐30).一方,バビロン王国も,ネブカデネザル王のすぐれた指導力により勢力をパレスチナ地域に伸しつつあった.預言者エレミヤはそんな不安な時代に預言者として活躍した.ヨシヤ王の後継者となったエホアハズ王は3か月,次のエホヤキム王は11年,その次のエホヤキン王は3か月の在位であった.ユダの勢力はバビロンの勢力を前に滅亡寸前であった.最後の王ゼデキヤは,バビロンの支配下で名前だけの王であったが,ネブカデネザルに反意を示したため,バビロンによって攻められた.前586年,ネブカデネザルの攻撃により,エルサレムにあったソロモンの神殿は破壊され,聖都エルサレムはついに崩壊し,指導者たちや民はバビロンへ捕囚として連れ去られて南王国ユダは滅亡した.エレミヤは,エルサレム崩壊を目前にした時代に,神に背を向けて,なおもエルサレムの神殿とエルサレムの安全を盲目的に頼んでいる南王国ユダの指導者たちとその民に,北イスラエルがさばかれ滅びたように,南ユダもさばかれ滅びることを告げていた.しかし,神の民として本当の霊的な信仰のあり方を考えない民は,聖都エルサレムの滅亡などを預言し,神の民が捕囚として異教の国に連れて行かれることなどを語るエレミヤを,むしろ偽預言者として責め,迫害したのである.エレミヤはそれでも神の審判を語り,そして捕囚の後にこそ,エルサレムに帰還する者たちの中から将来の新しいイスラエルの民が生れることを希望として預言した.同時代の預言者たちの中には,ハバクク,エゼキエル,ダニエルなどもいたと考えられる. 預言書エレミヤ書.現在のエレミヤ書は,ある程度の編纂的過程を経ているものと考えられる.それは,このエレミヤ書自体が語る歴史的事情に原因があるように思われる.すなわち,最初エレミヤが語り,彼の書記役を務めたバルクが記したと考えられる部分は,エホヤキム王によって焼却されたのである(36:21‐32).その年代はエホヤキムの治世第4年目で,36章はエレミヤ書の構成を観察する基礎と一般に考えられている.そこには,大切な3項目が明示されている.(1)預言者エレミヤは,書記役を務める人物バルクに口述し,バルクがそれを記述したこと(36:4,18),(2)記述された巻物はエホヤキム王によって切り裂かれて,焼却されたこと(36:22‐23),(3)再度神は預言者エレミヤに語りかけ,エレミヤはそれをバルクに口述して記述させただけでなく,さらに多くのことばを付加したこと(36:27‐28,32)である

火曜日 主はこう言われる
問3
【口語訳】 エレ 1:4 主の言葉がわたしに臨んで言う、
【新共同訳】 エレ 1:4 主の言葉がわたしに臨んだ。
【新改訳改訂第3版】 エレ 1:4 次のような【主】のことばが私にあった。
注解   (聖書の達人2聖書注解)
表題に続き,エレミヤ召命の出来事が紹介される.預言者にとっては,彼が育てられた家庭環境や受けた教育ではなく,神ご自身による召命経験こそ重要であった
【口語訳】 エゼ 7:1 主の言葉がまたわたしに臨んだ、
【新共同訳】 エゼ 7:1 主の言葉がわたしに臨んだ。
【新改訳改訂第3版】 エゼ 7:1 ついで、私に次のような【主】のことばがあった。
【口語訳】 ホセ 1:1 ユダヤの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの世、イスラエルの王ヨアシの子ヤラベアムの世に、ベエリの子ホセアに臨んだ主の言葉。
【新共同訳】 ホセ 1:1 ユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、イスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代に、ベエリの子ホセアに臨んだ主の言葉。
【新改訳改訂第3版】 ホセ 1:1 ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代に、ベエリの子ホセアにあった【主】のことば。
注解  (聖書の達人2聖書注解)
〈ベエリの子ホセア〉は北王国イスラエルで預言した.その期間は,繁栄を極めたヤロブアム2世の治世の終り頃から,イスラエル崩壊の直前までである.本書の主題は〈ホセアにあった主のことば〉に明白に示されている.これは預言者が啓示を受ける時の表現である.神はホセアを預言者として召し,ご自身がなそうとしている事柄(イザ55:11)について,ホセアを通して語られる

水曜日 漸進的(ぜんしんてき)な理解
問4
【口語訳】 ダニ 8:27 われダニエルは疲れはてて、数日の間病みわずらったが、後起きて、王の事務を執った。しかし、わたしはこの幻の事を思って驚いた。またこれを悟ることができなかった。
【新共同訳】 ダニ 8:27 わたしダニエルは疲れ果てて、何日か病気になっていた。その後、起きて宮廷の務めに戻った。しかし、この幻にぼう然となり、理解できずにいた。
【新改訳改訂第3版】 ダニ 8:27 私、ダニエルは、幾日かの間、病気になったままでいた。その後、起きて王の事務をとった。しかし、私はこの幻のことで、驚きすくんでいた。それを悟れなかったのである。
注解   (聖書の達人2聖書注解)
ダニエルに示された幻は真実であるとガブリエルは述べる.27節.この幻を見てダニエルは病気になったが,〈それを悟れなかった〉.以下の章で更に明白になることが暗示されている
【口語訳】 ダニ 9:2 すなわちその治世の第一年に、われダニエルは主が預言者エレミヤに臨んで告げられたその言葉により、エルサレムの荒廃の終るまでに経ねばならぬ年の数は七十年であることを、文書によって悟った。
【新共同訳】 ダニ 9:2 さて、わたしダニエルは文書を読んでいて、エルサレムの荒廃の時が終わるまでには、主が預言者エレミヤに告げられたように七十年という年数のあることを悟った。
【新改訳改訂第3版】 ダニ 9:2 すなわち、その治世の第一年に、私、ダニエルは、預言者エレミヤにあった【主】のことばによって、エルサレムの荒廃が終わるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った。
注解   (聖書の達人2聖書注解)
2節.この年,神の歴史支配を意識したダニエルは,〈預言者エレミヤにあった主のことば〉(エレ25:11以下,29:10)により,ユダヤ人のバビロン捕囚の期間が70年であることを知り,その預言がほとんど成就したことを悟った.
【口語訳】 ガラ 2:11-16
2:11 ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった。 2:12 というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからである。 2:13 そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれた。 2:14 彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った、「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか」。 2:15 わたしたちは生れながらのユダヤ人であって、異邦人なる罪人ではないが、 2:16 人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。 【新共同訳】 ガラ 2:11-16
2:11 さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。 2:12 なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。 2:13 そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。 2:14 しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」 ◆すべての人は信仰によって義とされる 2:15 わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。 2:16 けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。 【新改訳改訂3】 ガラ 2:11-16
2:11 ところが、ケパがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。 2:12 なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。 2:13 そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。
2:14 しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。 2:15 私たちは、生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。 2:16 しかし、人は律法の行いによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
アンテオケでの出来事.1‐10節に見る基本的一致の確認後も,具体的な点を巡り苦闘が続く.パウロはケパ(ペテロ)を公然と非難したと事件の要点を述べ(11),非難すべき事柄の内容を説明し(12‐13),非難の言葉(14)を示す 11 〈ケパがアンテオケに来た〉目的について,パウロは直接明らかにしていないが,6‐10節に見る確認をアンテオケ教会(参照使111:19以下)にエルサレム教会の代表として伝えるためと推察される.パウロはケパに,〈面と向かって〉(文頭に置き強調)抗議した(参照Ⅱサム12:1‐14).その理由は,ケパが〈非難すべき〉(参照Ⅰヨハ3:20)行為をしたからである 12 ケパはアンテオケに来た時,〈異邦人といっしょに食事をしていた〉(未完了形,習慣を示す).ケパは,共同の食事の意味を悟り(参照使10:9‐16,24‐29,11:3以下),実践していた.ところが,〈ある人々がヤコブのところから来る〉に及んで,彼は異邦人からためらいながらも身を引き始め,ついに〈離れて〉(参照マタ25:32,使19:9)行った.その理由は,〈割礼派の人々〉を恐れたからである.彼らがどのような人々か,ヤコブとの関係,なぜケパが彼らを恐れたのかなど,パウロは直接言及していない.彼らに対する批判,ケパの応答にも触れていない.パウロは,アンテオケ事件のすべてを伝えるのでなく,今ガラテヤ諸教会が直面している事態とのかかわりを中心に描く 13 〈ほかのユダヤ人たちも,彼といっしょに本心を偽った行動をとり〉とは,具体的にはケパと同様,今まで異邦人キリスト者と食事を共にしていたことから身を引くこと.ついに,パウロの最も親しい先輩であり同労者であり,福音理解を共にし異邦人宣教に専念してきた〈バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれ〉る.最悪の事態に陥り,アンテオケ教会は危機に直面した
 14 〈福音の真理〉とは,ユダヤ人と異邦人の差別なく,「ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる」(16)事実である.〈ユダヤ人……生活していたのに〉.ケパ自身,律法主義的ユダヤ人とは違い,異邦人と共同の食卓を拒否することを必要不可欠とは理解せず,異邦人と同じ立場に立ち,食卓を共にしていた.今共同の食卓を拒否することは,結果として,今まで通り食卓の交わりを保とうとする異邦人キリスト者に,割礼を受けることを〈強いる〉(参照2:3,6:12)ことになる.これは,〈福音の真理〉にふさわしい行為ではないと,パウロは信仰と一致しない行為を非難する パウロがケパに直接語った言葉を14節までと限り,15節以下を直接ガラテヤ諸教会に語っているものととる(欄外注,口語訳,新共同訳)か,21節まで続くと見る(新改訳)か,理解が分れる.更にケパに語った言葉の引用を16節まで,17節まで,18節までとする異説もある.このように引用の終りを断定しがたい理由は,アンテオケ事件をガラテヤ諸教会の現実との深いかかわりで描くためであり,アンテオケでケパを初めとする人々に語ったと同じ内容を,今ガラテヤ諸教会に向かって伝えるべきとのパウロの確信を示す(参照ヨハ3:15欄外注,主イエスのニコデモへの言葉の引用をどこまでと見るかについて).この箇所の中心点は明白である.ユダヤ人と異邦人が等しくキリストを信じる信仰により義と認められる「福音の真理」そのものの提示である.パウロはこの恵みを無にはしない 15 〈私たち〉は,アンテオケ事件の文脈では,直接的にはケパとパウロ,更に一般的にはユダヤ人キリスト者.異邦人を罪人とし,ユダヤ人と差別する「割礼派の人々」(12)の考えを踏まえて,16節での中心宣言に備える 16 〈知った〉.神の啓示によって(参照1:16).キリストを信じる信仰により義と認められ生かされる道をパウロは明示する.特に2つの点.①ユダヤ人と異邦人の差別なく,〈人〉は同じく罪の下にあり(参照ロマ3:9),等しくキリストにある救いへの招きを受けている(参照同3:22,10:12).②律法の行い(自らの律法の行いを信じる信仰)と,キリスト・イエスを信じること(キリスト・イエスのみわざを信じ,受けていること)との鋭い対比を繰り返し強調.〈義と認められる〉(〈ギ〉ディカイオオマイ).法的に義と認められることと不可分の,義と認められた者として生かされる生
【口語訳】 一ペテ 1:10 この救については、あなたがたに対する恵みのことを預言した預言者たちも、たずね求め、かつ、つぶさに調べた。
【新共同訳】 一ペト 1:10 この救いについては、あなたがたに与えられる恵みのことをあらかじめ語った預言者たちも、探求し、注意深く調べました。
【新改訳改訂第3版】 Ⅰペテ 1:10 この救いについては、あなたがたに対する恵みについて預言した預言者たちも、熱心に尋ね、細かく調べました。
注解   (聖書の達人2聖書注解)
10‐11〈恵みについて〉.新しい神の民であるキリスト者のためのもの.〈キリストの苦難とそれに続く栄光〉に関すること.〈預言者たち〉.旧約の預言者のこと.〈キリストの御霊〉.新約では他に1箇所(ロマ8:9)で,キリストをあかしする聖霊(ヨハ15:26)のこと.
*ダニエルの例 預言者は聖書を学ぶ
【新共同訳】 ダニ9:2 さて、わたしダニエルは文書を読んでいて、エルサレムの荒廃の時が終わるまでには、主が預言者エレミヤに告げられたように七十年という年数のあることを悟った。 *ダニエルの例 理解できずにいた
【新共同訳】 ダニ8:27 わたしダニエルは疲れ果てて、何日か病気になっていた。その後、起きて宮廷の務めに戻った。しかし、この幻にぼう然となり、理解できずにいた。 *ガブリエルが幻の意味を説明している
【新共同訳】 ダニ 9:20-23
9:20 こうしてなお訴え、祈り、わたし自身とわたしの民イスラエルの罪を告白し、わたしの神の聖なる山について、主なるわたしの神に嘆願し続けた。 9:21 こうして訴え祈っていると、先の幻で見た者、すなわちガブリエルが飛んで来て近づき、わたしに触れた。それは夕べの献げ物のころのことであった。 9:22 彼は、わたしに理解させようとしてこう言った。「ダニエルよ、お前を目覚めさせるために来た。 9:23 お前が嘆き祈り始めた時、御言葉が出されたので、それを告げに来た。お前は愛されている者なのだ。この御言葉を悟り、この幻を理解せよ。
木曜日 預言者が誤るとき
問5
【口語訳】 サム下 7:1-7
7:1 さて、王が自分の家に住み、また主が周囲の敵をことごとく打ち退けて彼に安息を賜わった時、 7:2 王は預言者ナタンに言った、「見よ、今わたしは、香柏の家に住んでいるが、神の箱はなお幕屋のうちにある」。 7:3 ナタンは王に言った、「主があなたと共におられますから、行って、すべてあなたの心にあるところを行いなさい」。 7:4 その夜、主の言葉がナタンに臨んで言った、 7:5 「行って、わたしのしもべダビデに言いなさい、『主はこう仰せられる。あなたはわたしの住む家を建てようとするのか。 7:6 わたしはイスラエルの人々をエジプトから導き出した日から今日まで、家に住まわず、天幕をすまいとして歩んできた。 7:7 わたしがイスラエルのすべての人々と共に歩んだすべての所で、わたしがわたしの民イスラエルを牧することを命じたイスラエルのさばきづかさのひとりに、ひと言でも「どうしてあなたがたはわたしのために香柏の家を建てないのか」と、言ったことがあるであろうか』。 【新共同訳】 サム下 7:1-7
7:1 王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。 7:2 王は預言者ナタンに言った。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ。」 7:3 ナタンは王に言った。「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます。」 7:4 しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。 7:5 「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。 7:6 わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。 7:7 わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。 【新改訳改訂3】 Ⅱサム 7:1-7
7:1 王が自分の家に住み、【主】が周囲のすべての敵から守って、彼に安息を与えられたとき、 7:2 王は預言者ナタンに言った。「ご覧ください。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中にとどまっています。」 7:3 すると、ナタンは王に言った。「さあ、あなたの心にあることをみな行いなさい。【主】があなたとともにおられるのですから。」 7:4 その夜のことである。次のような【主】のことばがナタンにあった。 7:5 「行って、わたしのしもべダビデに言え。【主】はこう仰せられる。あなたはわたしのために、わたしの住む家を建てようとしているのか。 7:6 わたしは、エジプトからイスラエル人を導き上った日以来、今日まで、家に住んだことはなく、天幕、すなわち幕屋にいて、歩んできた。 7:7 わたしがイスラエル人のすべてと歩んできたどんな所ででも、わたしが、民イスラエルを牧せよと命じたイスラエル部族の一つにでも、『なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか』と、一度でも、言ったことがあろうか。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
定まった住いに落ち着き,神の箱も迎えることが出来,周囲の敵からも守られるという〈安息〉(1)が,主の御手によってダビデに与えられた時,1つの思いが彼の心をしばしばよぎるようになった.それは,自分が見事なレバノン杉の家に住んでいるのに,神の箱はといえば,粗末な天幕の中にある,これでは主客転倒ではないか,ぜひ神の箱のために素晴らしい住いを設けたい,という思いであった.これを,サムエルの後継者〈預言者ナタン〉(2)に打ち明けると,彼は,それは良いお考えです,直ちに実行されるように,と言下に賛成の意を表した(3).ダビデが常に主と共に歩んでいるので,彼の考えは主から出たものと思ったからであろう しかし,夜の幻の中で(参照17),主は預言者ナタンに,ダビデの思いとは別の御旨を示された(4).すなわち,出エジプト以来,家ではなく,天幕を住いとして,民を導き,先頭に立って歩んできたのだと仰せられた(5‐6).また,これまでどんな指導的部族にも主のために杉材の家を建てるよう命令を与えたことはない,と言われた(7).神は,ご自分を低くし,民のただ中に住むお方である(参照イザ57:15,ヨハ1:14,使7:48‐50,17:24)
【口語訳】 歴代上 22:8 ところが主の言葉がわたしに臨んで言われた、『おまえは多くの血を流し、大いなる戦争をした。おまえはわたしの前で多くの血を地に流したから、わが名のために家を建ててはならない。
【新共同訳】 歴代上 22:8 ところが主の言葉がわたしに臨んで、こう告げた。『あなたは多くの血を流し、大きな戦争を繰り返した。わたしの前で多くの血を大地に流したからには、あなたがわたしの名のために神殿を築くことは許されない。
【新改訳改訂第3版】 Ⅰ歴代 22:8 ある時、私に次のような【主】のことばがあった。『あなたは多くの血を流し、大きな戦いをしてきた。あなたはわたしの名のために家を建ててはならない。あなたは、わたしの前に多くの血を地に流してきたからである。
参考   (聖書の達人2聖書辞典)
ナタン ダビデの時の宮廷預言者で,ダビデの神殿建設計画に賛同し,神の約束を取り次いだ(Ⅱサム7:2以下,Ⅰ歴17:1以下).しかし,ダビデの犯したウリヤ殺害計画とその妻バテ・シェバとの姦淫に対しては,きびしい断罪を告知した(Ⅱサム11:1‐12:15,詩51篇).後にソロモンの即位に際しても活躍した(Ⅰ列1:8‐48).彼は,ダビデ王の業績,ソロモン王の業績を記録した(Ⅰ歴29:29,Ⅱ歴9:29).
*ナタンはダビデに告げたことは誤りであることを告げなくてはならない
【新共同訳】 サム下 7:4-17
7:4 しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。 7:5 「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。 7:6 わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。 7:7 わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。 7:8 わたしの僕ダビデに告げよ。万軍の主はこう言われる。わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。 7:9 あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。 7:10 わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。 7:11 わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。 7:12 あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。 7:13 この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。 7:14 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。 7:15 わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが、そのようなことはしない。 7:16 あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」 7:17 ナタンはこれらの言葉をすべてそのまま、この幻のとおりにダビデに告げた。

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