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第10課 弟子となること

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작성자 나도람 작성일09-06-04 12:03 조회3,632회 댓글0건

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第10課 弟子となること


暗唱聖句
【口語訳】 ヨハ 14:8 ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。
【新共同訳】 ヨハ 14:8 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、
【新改訳改訂第3版】 ヨハ 14:8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」
【リビング・バイブル】 ヨハ 14:8 今度はピリポが口をはさみました。 「先生。 あなたのお父様を見せてください。 それだけで十分ですから。」 <NKJV> Joh 14:8 Philip said to Him, "Lord, show us the Father, and it is sufficient for us."
<KJV> Joh 14:8 Philip saith unto him, Lord, show us the Father, and it sufficeth us. <NIV> Joh 14:8 Philip said, "Lord, show us the Father and that will be enough for us." <TEV> Joh 14:8 Philip said to him, "Lord, show us the Father; that is all we need."
J-ばいぶるGREEK 原書講読画面
Joh 15:8
evn tou,tw| evdoxa,sqh o` path,r mou( i[na karpo.n polu.n fe,rhte kai. ge,nhsqe evmoi. maqhtai,Å
<文法解析ノート> Joh 15:8
@1# evn evn pd 前)与 中に、間に、で、よって、に、
@2# ou-toj tou,tw| apddn-s 指示)与中単 このこと
@3# doxa,zw evdoxa,sqh viap--3s 動)直アオ受3単 光を輝かせる
@4# o` o` dnms 冠)主男 冠詞(この、その)
@5# path,r path,r n-nm-s 名)主男単 父
@6# evgw, mou( npg-1s 代)属1単 私、わたし
@7# i[na i[na abr 関副 ために、する事を、~ので、という事は
@8# karpo,j karpo.n n-am-s 名)対男単 カルポ
@9# polu,j polu.n a--am-s 形)対男単 大きい、激しい
@10# fe,rw fe,rhte vspa--2p 動)仮現能2複 持って行く、運ぶ、出す、述べる、行く
@11# kai, kai. cc 接)等 そして、~さえ、しかし、しかも、それでは、そうすれば
@12# gi,nomai ge,nhsqe vsad--2p 動)仮アオ能欠2複 なる、生じる、現れる
@13# evgw, evmoi. a--nm1p/npd-1s 形)主男1複/代)与1単 私、わたし
@14# maqhth,j maqhtai,) n-nm-p 名)主男複 弟子

安息日午後 今週のテーマ
参考   (聖書の達人2聖書辞典)
■でし 弟子 
この語は,「師」に対して「教えを受ける者」「学ぶ者」という意味を持つ.ギリシヤの歴史家ヘロドトス(前5世紀)以後,用いられてきたことばである.これはイスラエル民族がバビロン捕囚を契機として,シナゴーグ(会堂)を中心とした律法の教育に力を注いだ時期と重なる.したがって,旧約聖書には「弟子」と訳されている箇所は非常に少ない(Ⅰ歴25:8,イザ8:16,50:4).古代社会においては,ギリシヤ人の哲学者やユダヤ人のラビたちが弟子を持っていたように,師弟関係によって教育が行われた.新約聖書では福音書と使徒の働きに弟子(〈ギ〉マセーテース)という語が集中しており,260箇所以上に用いられている.言うまでもなく,イエス・キリストの弟子に関して用いられる場合が圧倒的に多いが,バプテスマのヨハネも弟子を持って教えており(マタ9:14,ルカ7:18,ヨハ3:25),モーセの弟子(ヨハ9:28)を自称するユダヤ人もいた.またパリサイ人も弟子を持っていた(マタ22:16,マコ2:18,ルカ5:33).弟子とは,一般に師と個人的なかかわりを持ち,ただ単に師から教えを受けるだけでなく,その教えを実践する従者である.イエスは,この関係について「弟子はその師にまさらず」(マタ10:24),また「しかし十分訓練を受けた者はみな,自分の師ぐらいにはなるのです」と教えている(ルカ6:40). イエスの弟子の場合,キリストとしての性質上,またその使命の遂行のためにいくつかの段階で考えることができる.(1)イエスに召し出され,十二弟子と呼ばれ,イエスを主とし,個人的に師事し,後に使徒に任じられた人々(マタ10:1‐2,マコ3:14,16,ルカ6:13,ヨハ6:70).これらの弟子は主イエスと生活を共にし,「ヨハネのバプテスマ」から,「天に上げられた日まで」行動を共にした者であり,十字架と復活の目撃者,証人たちである(使1:21‐22).(2)宣教に派遣された70人の弟子(ルカ10:1‐24).これらの弟子たちは主から権威を授けられ,「あなたがたを拒む者は,わたしを拒む者」と言われている.(3)多くの弟子たちの群(ルカ6:17).(4)約束に従った120名(使1:15).これらの弟子たちは約束の聖霊に満たされて歴史的教会の核となった.(5)500人以上の兄弟たち(Ⅰコリ15:6).復活の主は,これらの人々に現れた.(6)「あらゆる国の人々」からなる弟子たち(マタ28:19).これらの弟子たちは,主イエスの伝道命令に従った人々によって生み出された歴史と時間を越えた弟子である.

日曜日 従う者と指導する者
問1
【口語訳】 出 18:13-27
18:13 あくる日モーセは座して民をさばいたが、民は朝から晩まで、モーセのまわりに立っていた。 18:14 モーセのしゅうとは、彼がすべて民にしていることを見て、言った、「あなたが民にしているこのことはなんですか。あなたひとりが座し、民はみな朝から晩まで、あなたのまわりに立っているのはなぜですか」。 18:15 モーセはしゅうとに言った、「民が神に伺おうとして、わたしの所に来るからです。 18:16 彼らは事があれば、わたしの所にきます。わたしは相互の間をさばいて、神の定めと判決を知らせるのです」。 18:17 モーセのしゅうとは彼に言った、「あなたのしていることは良くない。 18:18 あなたも、あなたと一緒にいるこの民も、必ず疲れ果てるであろう。このことはあなたに重過ぎるから、ひとりですることができない。 18:19 今わたしの言うことを聞きなさい。わたしはあなたに助言する。どうか神があなたと共にいますように。あなたは民のために神の前にいて、事件を神に述べなさい。 18:20 あなたは彼らに定めと判決を教え、彼らの歩むべき道と、なすべき事を彼らに知らせなさい。 18:21 また、すべての民のうちから、有能な人で、神を恐れ、誠実で不義の利を憎む人を選び、それを民の上に立てて、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長としなさい。 18:22 平素は彼らに民をさばかせ、大事件はすべてあなたの所に持ってこさせ、小事件はすべて彼らにさばかせなさい。こうしてあなたを身軽にし、あなたと共に彼らに、荷を負わせなさい。 18:23 あなたが、もしこの事を行い、神もまたあなたに命じられるならば、あなたは耐えることができ、この民もまた、みな安んじてその所に帰ることができよう」。 18:24 モーセはしゅうとの言葉に従い、すべて言われたようにした。 18:25 すなわち、モーセはすべてのイスラエルのうちから有能な人を選んで、民の上に長として立て、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長とした。 18:26 平素は彼らが民をさばき、むずかしい事件はモーセに持ってきたが、小さい事件はすべて彼らみずからさばいた。 18:27 こうしてモーセはしゅうとを送り返したので、その国に帰って行った。 【新共同訳】 出 18:13-27
18:13 翌日になって、モーセは座に着いて民を裁いたが、民は朝から晩までモーセの裁きを待って並んでいた。 18:14 モーセのしゅうとは、彼が民のために行っているすべてのことを見て、「あなたが民のためにしているこのやり方はどうしたことか。なぜ、あなた一人だけが座に着いて、民は朝から晩まであなたの裁きを待って並んでいるのか」と尋ねた。 18:15 モーセはしゅうとに、「民は、神に問うためにわたしのところに来るのです。 18:16 彼らの間に何か事件が起こると、わたしのところに来ますので、わたしはそれぞれの間を裁き、また、神の掟と指示とを知らせるのです」と答えた。 18:17 モーセのしゅうとは言った。「あなたのやり方は良くない。 18:18 あなた自身も、あなたを訪ねて来る民も、きっと疲れ果ててしまうだろう。このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれないからだ。 18:19 わたしの言うことを聞きなさい。助言をしよう。神があなたと共におられるように。あなたが民に代わって神の前に立って事件について神に述べ、 18:20 彼らに掟と指示を示して、彼らの歩むべき道となすべき事を教えなさい。 18:21 あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を/選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい。 18:22 平素は彼らに民を裁かせ、大きな事件があったときだけ、あなたのもとに持って来させる。小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさい。 18:23 もし、あなたがこのやり方を実行し、神があなたに命令を与えてくださるならば、あなたは任に堪えることができ、この民も皆、安心して自分の所へ帰ることができよう。」 18:24 モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、その勧めのとおりにし、 18:25 全イスラエルの中から有能な人々を選び、彼らを民の長、すなわち、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長とした。 18:26 こうして、平素は彼らが民を裁いた。難しい事件はモーセのもとに持って来たが、小さい事件はすべて、彼ら自身が裁いた。 18:27 しゅうとはモーセに送られて、自分の国に帰って行った。 【新改訳改訂3】 出 18:13-27
18:13 翌日、モーセは民をさばくためにさばきの座に着いた。民は朝から夕方まで、モーセのところに立っていた。 18:14 モーセのしゅうとは、モーセが民のためにしているすべてのことを見て、こう言った。「あなたが民にしているこのことは、いったい何ですか。なぜあなたひとりだけがさばきの座に着き、民はみな朝から夕方まであなたのところに立っているのですか。」 18:15 モーセはしゅうとに答えた。「民は、神のみこころを求めて、私のところに来るのです。 18:16 彼らに何か事件があると、私のところに来ます。私は双方の間をさばいて、神のおきてとおしえを知らせるのです。」 18:17 するとモーセのしゅうとは言った。「あなたのしていることは良くありません。 18:18 あなたも、あなたといっしょにいるこの民も、きっと疲れ果ててしまいます。このことはあなたには重すぎますから、あなたはひとりでそれをすることはできません。 18:19 さあ、私の言うことを聞いてください。私はあなたに助言をしましょう。どうか神があなたとともにおられるように。あなたは民に代わって神の前にいて、事件を神のところに持って行きなさい。 18:20 あなたは彼らにおきてとおしえとを与えて、彼らの歩むべき道と、なすべきわざを彼らに知らせなさい。 18:21 あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人々、不正の利を憎む誠実な人々を見つけ出し、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民の上に立てなければなりません。 18:22 いつもは彼らが民をさばくのです。大きい事件はすべてあなたのところに持って来、小さい事件はみな、彼らがさばかなければなりません。あなたの重荷を軽くしなさい。彼らはあなたとともに重荷をになうのです。 18:23 もしあなたがこのことを行えば、──神があなたに命じられるのですが──あなたはもちこたえることができ、この民もみな、平安のうちに自分のところに帰ることができましょう。」 18:24 モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、すべて言われたとおりにした。 18:25 モーセは、イスラエル全体の中から力のある人々を選び、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民のかしらに任じた。 18:26 いつもは彼らが民をさばき、むずかしい事件はモーセのところに持って来たが、小さい事件は、みな彼ら自身でさばいた。 18:27 それから、モーセはしゅうとを見送った。彼は自分の国へ帰って行った。 【リビング・バイブル】 出 18:13-27
18:13 翌日、モーセはいつものように座って、朝から夕方まで人々の不平を聞き、訴えを裁いていました。
18:14 全く息つく暇もありません。 あまりの忙しさに驚いたイテロが聞きました。 「一日中こんなに大ぜいの人が、助言してもらおうとここにやって来るんだろう? どうして、この山のような仕事を一人きりで片づけようとするのかね。」 18:15 -16「それはですね、難しい問題があると、みな私のところへ来て神様の判断を仰ぐんです。 判事は私です。 どちらが正しいか、どちらが間違っているかを決めたり、神様が求める生き方はどういうものかを教えたりします。 私がみんなのために神様の法律を実際の情況に当てはめて適用するわけです。」 18:17 「うーん、よくないな。 18:18 こんなやり方を続けていたら、おまえのほうがまいってしまうよ。 もしおまえが倒れたら、みんなはどうなるかね? 何もかも一人で片づけるには、少し荷が勝ちすぎるんじゃないか。 18:19 -20余計なおせっかいかもしれんが、わしの意見を聞いてもらえまいか。 神様のお助けがなければどうにもならんが……。 おまえはこの人たちの、顧問弁護士になったらいいと思うが、どうだろう。 人々を代表して神様の前に立つということだな。 彼らの問題を神様のもとへ持って行って決定していただき、その決定を伝える。 人々に神の法律を教え、正しい生活を送る原則を示すというわけだ。
18:21 ほかに有能な、信心深い、わいろなど取らない正直な人物を捜し、問題の処理にあたらせたらどうだ。 千人につき一人そういう指導者を選び、その下に十人の責任者を置く。 それぞれが百人のめんどうを見るというわけだ。 さらにその下に、五十人の問題を処理する者を二人ずつ置き、その二人がまた、十人の相談相手になる者を五人ずつ受け持つ。 18:22 これらの人たちがいつでも問題の処理にあたって、正しく職務を果たせるようにする。 特に重要な問題とか難しい問題は、おまえのところへ直接持って来させるが、小さな問題は彼らに任せる。 こうやって、少しずつ責任を分担すれば、おまえも少しは楽になれるというものだ。 18:23 どうだ、わしの言うとおりにしてみんか。 神様も、きっと賛成してくださると思うがな。 こうすれば、どんな大へんな仕事もやり抜けるだろう。 野営地の中も平穏無事になるしな。」 18:24 モーセは、イテロの提案を受け入れることにしました。 18:25 すべてのイスラエル人の中から有能な人物を選び、人々の指導者に任命しました。 千人、百人、五十人、十人、それぞれのグループごとに指導者を置いたのです。 18:26 この人たちは、問題が起こればすぐ解決して、正しい判決を下すことができるようになっていました。 難しい問題はモーセのところへ持って来ますが、小さな問題は自分たちだけで裁きました。 18:27 それから間もなく、しゅうとのイテロはモーセに別れを告げ、国へ帰りました。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
モーセ,アロン,民の代表である長老,それにアブラハムの子孫で荒野の民を代表するイテロが加わった契約の後に,神はイスラエルに裁判制度をお与えになる.この箇所は,イスラエルと神との契約に欠かせない法的側面を示している.その意味ではここは,内容的には24章の契約の批准が終ったところに位置するものと言える 〈朝から夕方まで〉(13).契約の法を日常生活に適用することは大変な作業である.個人の問題にも難しいものがあろうが,特に両当事者がある事件の場合,両方の言い分を聞かなければならない.順番を待つ民もモーセも疲れ果てる.モーセが1人で何もかもやろうとしたのは,法を与えるのは神であり,それを聞いて公布するのはモーセの仕事であり,またその法の適用についても人々はモーセを通して示される神の指示を受けたいと願うからである イテロの提案は実際的であった.しかもその言葉は神の契約の法のあり方を的確に示すものである.まずモーセは民の代表であるから,神の前にいなければならない.民の中に起る事件はすべてモーセの仲立ちの下に神の前にもたらされなければならない.そこでモーセは,何よりも明瞭に神の〈おきてとおしえ〉(20)を示さなければならない.民がまずはっきりと神の契約の法を知り,民自らがその適用についても理解を持ち得るようにしなければならない.神の民はただ依存するだけであってはならないのである その次にイテロが提案したことは,民の中から〈小さい事件〉(22)をさばくことの出来る人物を選ぶことである.大きな事件だけを扱うことにすれば,モーセの負担ははるかに軽減出来る.民を,千人,百人,50人,10人の単位に分け,それぞれに長を置いて管轄下の問題を処理させるとしても,モーセが神の前に民を代表する人物であるということさえはっきりしていれば,このシステムは非常に合理的である.しかし,末端の判断とさばきがモーセ自身が行うさばきと同一のものでなければ,契約の民の統一性を保つことは出来ない.そのために人選において間違いがあってはならず,人選の規準は厳しく定められた.〈神を恐れる,力のある人々,不正の利を憎む誠実な人々〉(21)が求められる.モーセはイテロの提案をすべて受け入れ,その通りに実行した.こうしてイスラエルの法のシステムが始まった.イテロの提案は,神から出たものである故に受け入れられ,実行された.イテロ自身はここでモーセと別れ,自分の国に帰って行った(27).契約の民でありつつ,カナン入りはしなかったのである
問2
【口語訳】 マル 3:13-19
3:13 さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。 3:14 そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、 3:15 また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。 3:16 こうして、この十二人をお立てになった。そしてシモンにペテロという名をつけ、 3:17 またゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。 3:18 つぎにアンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、 3:19 それからイスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。イエスが家にはいられると、 【新共同訳】 マル 3:13-19
3:13 イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。 3:14 そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、 3:15 悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。 3:16 こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。 3:17 ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。 3:18 アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、 3:19 それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。 【新改訳改訂3】 マル 3:13-19
3:13 さて、イエスは山に登り、ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとに来た。
3:14 そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、 3:15 悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。 3:16 こうして、イエスは十二弟子を任命された。そして、シモンにはペテロという名をつけ、 3:17 ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。 3:18 次に、アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党員シモン、 3:19 イスカリオテ・ユダ。このユダが、イエスを裏切ったのである。 【リビング・バイブル】 マル3:13-19
3:13 その後イエスは丘に登り、今までに選ばれた者たちを召集されました。 皆が集まったところで、 3:14 十二人の者を特に選び出されました。 いつもそば近くに置き、彼らに、神のすばらしい知らせを宣べ伝えさせたり、 3:15 悪霊を追い出させたりするためでした。 3:16 -19十二人の名前は次のとおりです。 シモン〔イエスによって「ペテロ」と名づけられた〕、 ヤコブとヨハネ〔ゼベダイの息子で、イエスから「雷の子」と呼ばれた〕、 アンデレ、 ピリポ、 バルトロマイ、 マタイ、 トマス、 ヤコブ〔アルパヨの息子〕、 タダイ、 シモン〔「熱心党」という急進派のメンバー〕、 イスカリオテのユダ〔後にイエスを裏切った男〕。
注解   (聖書の達人2聖書注解)
群衆が広域から押し寄せる中,イエスは一たん山に退き,じっくり考え,祈って(ルカ6:12),弟子たちを任命された.イスラエルの12部族に対応すべく,新しい神の民の中核となる12人である.13‐15節に,主の弟子となるキリスト者に当てはまる基本的パターンがある.弟子となる者は2つの目的を心がけなければならない.第1に主のみそばに座り,共に過し,主と交わり,主から学ぶ.次に,これが土台となって外へ遣わされる.〈福音を宣べ……悪霊を追い出す〉(14‐15)という神の国を代表する責任と特権が彼らの肩に置かれた(参照マタ10:40) 12弟子のリストの最初にペテロとヤコブとヨハネが登場する.9章の変貌山と14章のゲツセマネの園では,この3人だけがお供を許された.イエスは特に彼らを身近に置かれた.〈ペテロ〉(16)とは,岩の意.ゼベダイの2人の子に与えられた〈雷の子〉(17)の解釈は難しいが,聖書で新しい名が与えられる時,新しい可能性と恵みによる変貌を目的としているので,消極的な解釈はふさわしくない
【口語訳】 マル 2:18 ヨハネの弟子とパリサイ人とは、断食をしていた。そこで人々がきて、イエスに言った、「ヨハネの弟子たちとパリサイ人の弟子たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」。
【新共同訳】 マル 2:18 ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」
【新改訳改訂第3版】 マル 2:18 ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは断食をしていた。そして、イエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか。」
【リビング・バイブル】 マル 2:18 バプテスマのヨハネの弟子やパリサイ人たちは、断食のおきてを守っていました。 ある時、彼らが来て、「どうして先生のお弟子さんたちは断食しないのですか」と問いただしました。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
旧約の民は贖罪の日に,贖われる罪を悔いる行為として,断食を行った(レビ16:29).イエスの時代には,パリサイ人は週に2度(月・木)断食を行い,それが彼らの宗教的熱意のしるしであった(ルカ18:12).洗礼者ヨハネは神の国の到来に備えて罪の悔い改めを説き,さばきを免れるために断食を訴え(マタ11:18),その弟子たちは取り去られた師を悲しみ,断食に入った.彼らに限らず,敬虔に熱心に神を求める世界では,断食はごく普通のことである.それなのに〈あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか〉(18)というのが,イエスに投げられた質問の3番目であった

月曜日 弟子であることのしるし――服従と忠誠
問3
【口語訳】 マタ 4:19 イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。
【新共同訳】 マタ 4:19 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
【新改訳改訂第3版】 マタ 4:19 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」
【リビング・バイブル】 マタ 4:19 イエスが、「わたしについて来なさい。 人間をとる漁師にしてあげよう」と声をおかけになると、 注解   (聖書の達人2聖書注解)
宣教の開始と共に,イエスはすでにかかわりを持っていた弟子たち(ヨハ1‐2章)を,改めて献身の生活へと召した.ここで召されたペテロ(本来の名はシモン)とその兄弟アンデレ,そしてゼベダイの子ヤコブとヨハネは,後に12弟子の中核になった.彼らはその仕事の真最中に召された.〈わたしについて来なさい〉という招きの言葉に,〈あなたがたを,人間をとる漁師にしてあげよう〉という約束が伴った(19).彼らにその意味がどこまでわかったか知れないが,漁師の仕事に勝る新しい使命に招かれているという思いを抱いたであろう.ユダヤ教では弟子のほうでラビを選ぶが,イエスは逆に自ら弟子たちを選ぶ.ペテロとアンデレは従うために網を捨てなければならなかった.
【口語訳】 マタ 9:9 さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイという人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。
【新共同訳】 マタ 9:9 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
【新改訳改訂第3版】 マタ 9:9 イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。
【リビング・バイブル】 マタ 9:9 イエスはそこを去り、道を進んで行かれました。 途中、マタイという取税人が税金取立所に座っていたので、「来なさい。 わたしの弟子になりなさい」と声をおかけになると、マタイはすぐ立ち上がり、あとについて来ました。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
イエスはカペナウムの収税所にいたマタイ(レビ)を召し,彼はすぐに従った.小さな町のこと,以前から接触があったと思われる.それにしても経済的に恵まれていた彼にとって,容易な決断ではなかったはずである.漁師と違い一度職を離れたら戻ることは出来ず,他の職に就くことも難しい(元取税人を雇う者は余りいないであろうから).彼が後戻りの出来ない決断をあえてしたのは,ユダヤ人社会で疎外されていた取税人に対し,驚くほど開かれた態度をイエスがとっていたからであろう
【口語訳】 マル 8:34 それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
【新共同訳】 マル 8:34 それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
【新改訳改訂第3版】 マル 8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
【リビング・バイブル】 マル 8:34 それから、弟子たちと群衆とを呼び寄せ、こう言われました。 「だれでもわたしについて来たければ、自己中心の生活をやめ、自分の十字架を背負って、ついて来なさい。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
メシヤに従う者たちもまた,メシヤと共に受難の道をたどる.メシヤの受難と同様,この弟子の道の宣言も弟子たちの予測に反していた.主の道と弟子の道の2つを分けて考えることは出来ない.前者は後者の模範である.9‐10章にも受難の予告が登場するが,同様に,弟子のあり方も主の十字架によって規定されている.もちろん,12弟子に限らない.イエスは,弟子たちと一緒に群衆を呼び寄せて,〈だれでも〉(34)と弟子の道の対象を最大限に広げて招かれる 自分を〈捨て〉る(34)(〈ギ〉アパルネオマイ)の基本的な意味は,自分に対して「否」と言うこと.それは,単に罪や悪を捨てることではなく,自我の要求を否定し,神の御旨に生きることである.〈自分の十字架を負い〉(34).十字架はローマの極刑である.刑を宣告された者は,自分の十字架を背負い,辱めのうちに引き回され,公衆の前ではりつけになる.本書の原読者は,即,イエスと同じ殉教をイメージしたはずである.自分を捨て,主イエスに従って行く生き方に,後戻りはない.殉教さえも覚悟した上で〈わたしについて来なさい〉(34)と主は迫られる 1:16‐20で,「わたしについて来なさい」との召しに単純に従った弟子たちである.すべてを捨ててついて来た彼らの決心は固く,純粋であった.しかし,それは,弟子の道の入口にすぎない.入口から眺めただけで,主に従うことがどんな犠牲を強い,どんな栄光に満ちているか,すべてがわかるはずはない.本書の後半を迎えるに当って,彼らはまた1つ大きな転機を迎え,再決心が求められている
問4
【口語訳】 ヨハ 6:60-70
6:60 弟子たちのうちの多くの者は、これを聞いて言った、「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか」。 6:61 しかしイエスは、弟子たちがそのことでつぶやいているのを見破って、彼らに言われた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。 6:62 それでは、もし人の子が前にいた所に上るのを見たら、どうなるのか。 6:63 人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。 6:64 しかし、あなたがたの中には信じない者がいる」。イエスは、初めから、だれが信じないか、また、だれが彼を裏切るかを知っておられたのである。 6:65 そしてイエスは言われた、「それだから、父が与えて下さった者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである」。 6:66 それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。 6:67 そこでイエスは十二弟子に言われた、「あなたがたも去ろうとするのか」。 6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。 6:69 わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」。 6:70 イエスは彼らに答えられた、「あなたがた十二人を選んだのは、わたしではなかったか。それだのに、あなたがたのうちのひとりは悪魔である」。 【新共同訳】 ヨハ 6:60-70
6:60 ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」 6:61 イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。 6:62 それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。 6:63 命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。 6:64 しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。 6:65 そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」 6:66 このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。 6:67 そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。 6:68 シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。 6:69 あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」 6:70 すると、イエスは言われた。「あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ。」 【新改訳改訂3】 ヨハ 6:60-70
6:60 そこで、弟子たちのうちの多くの者が、これを聞いて言った。「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」 6:61 しかし、イエスは、弟子たちがこうつぶやいているのを、知っておられ、彼らに言われた。「このことであなたがたはつまずくのか。 6:62 それでは、もし人の子がもといた所に上るのを見たら、どうなるのか。 6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。 6:64 しかし、あなたがたのうちには信じない者がいます。」──イエスは初めから、信じない者がだれであるか、裏切る者がだれであるかを、知っておられたのである── 6:65 そしてイエスは言われた。「それだから、わたしはあなたがたに、『父のみこころによるのでないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできない』と言ったのです。」 6:66 こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった。 6:67 そこで、イエスは十二弟子に言われた。「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」 6:68 すると、シモン・ペテロが答えた。「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。 6:69 私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。」 6:70 イエスは彼らに答えられた。「わたしがあなたがた十二人を選んだのではありませんか。しかしそのうちのひとりは悪魔です。」 【リビング・バイブル】 ヨハ 6:60-70
6:60 これには、弟子たちでさえ、思わず「なんてむずかしい話だ。 さっぱりわからない」とつぶやくほどでした。 6:61 それに気づいたイエスは、彼らにおっしゃいました。 「こんなことでつまずくのですか。 6:62 そんなことでは、メシヤのわたしが天に帰るのを見たら、いったいどう思うことでしょう……。 6:63 いいですか。 ただ聖霊だけが、永遠のいのちを与えてくださいます。 肉体的にこの世に生まれただけでは、絶対に、永遠のいのちの贈り物はいただけません。 いま話してあげたのは、まさにこのこと、どうしたら、ほんとうの霊的ないのちを、いただけるかということなのです。 6:64 だが残念なことに、あなたがたの中には、わたしを信じない者がいます。」イエスは初めから、信じない者はだれか、裏切り者はだれかを、知っておられたのです。 6:65 イエスは先をお続けになりました。 「『父が引き寄せてくださらない限り、だれもわたしのところへは来られません』と言ったのは、そういう意味なのです。」 6:66 この時から、大ぜいの弟子たちが、イエスとたもとを分かち、もはや行動を共にしませんでした。 6:67 そこでイエスは、十二人の弟子たちにも、「あなたがたは、まさか行ってしまわないでしょうね」とお尋ねになりました。 6:68 シモン・ペテロが、即座に答えました。 「何をおっしゃるんです、先生。 あなた様をさしおいて、ほかの人のところへ行くわけがないじゃありませんか! 永遠のいのちを与えることばを握っているのは、あなた様だけなんですから。 6:69 私たちは、そのことばを信じておりますし、あなた様が神のきよい御子だということも、存じ上げております。」 6:70 「あなたがた十二人を選んだのはわたしです。 だが、なんということでしょう。 悪魔が一人まぎれ込んでいます。」 注解   (聖書の達人2聖書注解)
この事件は弟子たちの間にさえ分裂をもたらした.イエスの言葉を文字通りに理解した者たちは,イエスのもとを去って行った 〈もし人の子がもといた所に上るのを見たら,どうなるのか〉(62).天から下って来たということが受け入れられないとすれば,その逆を見た時に信じるのであろうか.すでにヨハネは,上げられる人の子について言及した(3:14).その上げられる人の子は十字架を通して天へ帰還されるのである.そのことがもたらす恵みに霊的にあずかることが,永遠の命にあずかることなのである 去って行く弟子たちと対照的にペテロの告白が記される(68‐69).共観福音書の記すピリポ・カイザリヤでの信仰告白に匹敵する(マコ8:29)

火曜日 犠牲
問5
【口語訳】 マタ 20 :20-23
20:20 そのとき、ゼベダイの子らの母が、その子らと一緒にイエスのもとにきてひざまずき、何事かをお願いした。 20:21 そこでイエスは彼女に言われた、「何をしてほしいのか」。彼女は言った、「わたしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」。 20:22 イエスは答えて言われた、「あなたがたは、自分が何を求めているのか、わかっていない。わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか」。彼らは「できます」と答えた。 20:23 イエスは彼らに言われた、「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになろう。しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、わたしの父によって備えられている人々だけに許されることである」。 【新共同訳】 マタ 20:20-23
20:20 そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。 20:21 イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」 20:22 イエスはお答えになった。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」二人が、「できます」と言うと、 20:23 イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ。」 【新改訳改訂3】 マタ 20:20-23
20:20 そのとき、ゼベダイの子たちの母が、子どもたちといっしょにイエスのもとに来て、ひれ伏して、お願いがありますと言った。 20:21 イエスが彼女に、「どんな願いですか」と言われると、彼女は言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」 20:22 けれども、イエスは答えて言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます」と言った。 20:23 イエスは言われた。「あなたがたはわたしの杯を飲みはします。しかし、わたしの右と左にすわることは、このわたしの許すことではなく、わたしの父によってそれに備えられた人々があるのです。」 【リビング・バイブル】 マタ 20:20-23
20:20 その時、ゼベダイの息子ヤコブとヨハネとの母親が、息子たちを連れて来ました。 母親はイエスの前にひざまずき、「お願いがございます」と言いました。 20:21 「どんなことですか。」 「どうぞ、あなた様の御国で、二人の息子を、あなた様の次に高い位につかせてやってくださいまし。」 20:22 ところがイエスは、「あなたには、何もわかっていませんね」と答え、今度は、ヤコブとヨハネのほうをご覧になりました。
「あなたがたは、わたしが飲もうとしている恐るべき杯を飲むことができますか。」 「はい。 できます。」イエスの質問に、二人はきっぱり答えました。 20:23 しかしイエスは、「確かに飲むことにはなるでしょう。 だが、だれをわたしの次の位につかせるかは、わたしの決めることではありません。 わたしの父がお決めになることです」と言われました。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
受難予告は依然として弟子たちに不可解であった(ルカ18:34).予告に不安を覚えつつも,19:28の言葉から間もなく神の国が実現すると考え(ルカ19:11),「今のうちに栄達を求めておこう」と思ったのだろう.ゼベダイの子たちには,イエスの弟子として生きることの意味が(10:37‐39,16:24‐26)全くわかっていなかった.マタ27:56とマコ15:40の比較から,彼らの母はサロメであるとわかる.またイエスの母マリヤの姉妹であるという,ヨハ19:25に基づく推測が正しければ,彼女は血縁関係を利用したのかもしれない.息子たちはペテロと共にイエスのそばにいたが,それでいてペテロに先を越されることが多かった(14:28‐32,16:16‐19).だから「今度こそ先に」と,特権的地位を求めたのだろう.しかし,神の国はこの世の王国と異なる.神の国の祝福を求めるとしたら,それは今彼らが求めているものとは違う.〈杯〉(22)は苦難や神の憤りの象徴である(詩11:6,イザ51:17,哀4:21).彼らは〈杯を飲むことができますか〉という問に,〈できます〉と答えた(22).実際,ヤコブはヘロデ・アグリッパ王に殺され,12使徒の中で最初の殉教者となり(使12:2),ヨハネは晩年パトモス島に流された.それはそれとして,神の国における栄誉を地上で予約することは出来ない.他の弟子たちは2人の抜け駆けを怒ったが,権力と栄誉を求める点で彼らもまた同じであった.
【口語訳】 マル 10:35-41
10:35 さて、ゼベダイの子ヤコブとヨハネとがイエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちがお頼みすることは、なんでもかなえてくださるようにお願いします」。 10:36 イエスは彼らに「何をしてほしいと、願うのか」と言われた。 10:37 すると彼らは言った、「栄光をお受けになるとき、ひとりをあなたの右に、ひとりを左にすわるようにしてください」。 10:38 イエスは言われた、「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていない。あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができるか」。 10:39 彼らは「できます」と答えた。するとイエスは言われた、「あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けるであろう。 10:40 しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、ただ備えられている人々だけに許されることである」。 10:41 十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネとのことで憤慨し出した。 【新共同訳】 マル 10:35-41
10:35 ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」 10:36 イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、 10:37 二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」 10:38 イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」 10:39 彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。 10:40 しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」 10:41 ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。 【新改訳改訂3】 マル 10:35-41
10:35 さて、ゼベダイのふたりの子、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。「先生。私たちの頼み事をかなえていただきたいと思います。」 10:36 イエスは彼らに言われた。「何をしてほしいのですか。」
10:37 彼らは言った。「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」 10:38 しかし、イエスは彼らに言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。あなたがたは、わたしの飲もうとする杯を飲み、わたしの受けようとするバプテスマを受けることができますか。」 10:39 彼らは「できます」と言った。イエスは言われた。「なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします。 10:40 しかし、わたしの右と左にすわることは、わたしが許すことではありません。それに備えられた人々があるのです。」 10:41 十人の者がこのことを聞くと、ヤコブとヨハネのことで腹を立てた。 【リビング・バイブル】 マル 10:35-41
10:35 さて、ゼベダイの息子のヤコブとヨハネが来て、イエスにこっそりと頼みました。 「先生。 折り入ってお願いしたいことがあるのですが……。」 10:36 「どんなことですか。」 10:37 「実は、あなた様の御国で、私たちをあなた様の次に高い位につかせていただきたいのです。 一人はあなた様の右に、一人は左にというぐあいに。」 10:38 しかし、イエスは言われました。 「あなたがたは、何もわかっていませんね。 わたしが飲もうとしている恐るべき杯を飲み、わたしが受けようとしている苦しみのバプテスマ(洗礼)を受けることができるとでも言うのですか。」 10:39 「できますとも!」と、自信をもって答える二人に、イエスは、「確かにあなたがたはわたしの杯を飲み、バプテスマを受けるでしょう。 10:40 だが、だれをわたしの次の位につかせるかは、わたしが決めることではありません。 もうすでに、決まっているのです」とおっしゃいました。 10:41 この、ヤコブとヨハネの願い事を知ったほかの弟子たちは、もうれつに腹を立てました。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
受難の予告のすぐ後に,受難の主とは全く対照的な弟子の現状が描かれるのは(35節以下),8:32‐33や9:33‐37と同じである.ゼベダイの2人の子は怪しげな雲行きを感知しながらも,エルサレム行きが栄光のうちに終ると期待していた.他の者を差し置いて,まず自分たちを王座の右と左に座らせて下さいと頼みに来る(35‐37) 2人は,主が言われる通り,〈自分が何を求めているのか,わかっていない〉(38).エルサレムで,イエスが着く〈栄光の座〉(37)は十字架である.それを主は〈わたしの飲もうとする杯〉(38)と表現された.旧約聖書で,「杯」は,人間の罪に対する神の怒りとさばきを意味することが多い(詩75:8,イザ51:17,エレ25:15‐17,49:12,51:7,エゼ23:31‐34,ハバ2:16,ゼカ12:2).ここでイエスは,45節にあるように,罪に対する神のさばきを代って背負う意味で,「わたしには飲む杯がある」と表現し,その使命を〈バプテスマ〉(38)と呼ばれた(参照ルカ12:50).〈できます〉(39)と言った2人は,事の真義を理解していなかった.だが,イエスは,彼らも将来,福音のために大きな苦難にあい,それに耐えることを予告される(使12:2,黙1:9) 2人に出し抜かれた10人の弟子は,〈腹を立てた〉(41).野心やプライドという世的な精神は根が深い.9:33以来,仕える者となりなさい,小さい者につまずきを与えてはなりません,互いに和合して暮しなさい,先の者が後になることが多いのです,と繰り返し教えられても,まだ競い合い,いがみ合っている
【口語訳】 イザ 14:12-14
14:12 黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。 14:13 あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、 14:14 雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。 【新共同訳】 イザ 14:12-14
14:12 ああ、お前は天から落ちた/明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた/もろもろの国を倒した者よ。 14:13 かつて、お前は心に思った。「わたしは天に上り/王座を神の星よりも高く据え/神々の集う北の果ての山に座し 14:14 雲の頂に登って/いと高き者のようになろう」と。 【新改訳改訂3】 イザ 14 :12-14
14:12 暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。 14:13 あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。 14:14 密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』 【リビング・バイブル】 イザ 14:12-14
14:12 暁の子、ルシファー(天使)よ、どうして天から落ちたのか。 世界に並ぶ者のない権力者だったのに、どうして切り倒されたのか。 14:13 それは、心の中でこううそぶいたからです。 「天にのぼり、最高の王座について、御使いたちを支配してやろう。 北の果てにある集会の山で議長になりたい。 14:14 一番上の天にのぼって、全能の神様のようになってやろう。」 問6
【口語訳】 マル 8:31-38
8:31 それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教えはじめ、 8:32 しかもあからさまに、この事を話された。すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめたので、 8:33 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた、「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。 8:34 それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 8:35 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。 8:36 人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。 8:37 また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。 8:38 邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」。 【新共同訳】 マル 8:31-38
8:31 それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。 8:32 しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。 8:33 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」 8:34 それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 8:35 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うの

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