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第05課 霊の結ぶ実は寛容

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작성자 나도람 작성일10-01-22 17:24 조회3,196회 댓글0건

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第05課 霊の結ぶ実は寛容

暗唱聖句
【口語訳】 ヘブル 10:36 神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。
【新共同訳】 ヘブル 10:36 神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。
【新改訳改訂第3版】 ヘブル 10:36 あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。
【リビング・バイブル】 ヘブル 10:36 神様の約束されたものを、そっくりいただきたいと願うなら、神様の御心を、忍耐強く実行しなければなりません。
<NKJV> Heb 10:36 For you have need of endurance, so that after you have done the will of God, you may receive the promise:
<KJV> Heb 10:36 For ye have need of patience, that, after ye have done the will of God, ye might receive the promise. <NIV> Heb 10:36 You need to persevere so that when you have done the will of God, you will receive what he has promised.
<TEV> Heb 10:36 You need to be patient, in order to do the will of God and receive what he promises.
J-ばいぶるGREEK 原書講読画面Heb 10:36
u`pomonh/j ga.r e;cete crei,an i[na to. qe,lhma tou/ qeou/ poih,santej komi,shsqe th.n evpaggeli,an)
@1# u`pomonh, u`pomonh/j n-gf-s 名)属女単 忍耐、辛抱
@2# ga,r ga.r cs 接)従 なぜなら、というのは、すなわち、だから
@3# e;cw e;cete vipa--2p 動)直現能2複 持つ、保つ、できる、~である
@4# crei,a crei,an n-af-s 名)対女単 必要、いる、場所
@5# i[na i[na cs 接)従 ために、する事を、~ので、という事は
@6# o` to. dans 冠)対中 冠詞(この、その)
@7# qe,lhma qe,lhma n-an-s 名)対中単 みこころ、意志
@8# o` tou/ dgms 冠)属男 冠詞(この、その)
@9# qeo,j qeou/ n-gm-s 名)属男単 神
@10# poie,w poih,santej vpaanm2p 分)アオ能主男2複 する
@11# komi,zw komi,shsqe vsam--2p 動)仮アオ中2複 返してもらう
@12# o` th.n dafs 冠)対女複 冠詞(この、その)
@13# evpaggeli,a evpaggeli,an) n-af-s 名)対女単 約束、約束されたもの

安息日午後 今週のテーマ
*忍耐が試されるのは…
【口語訳】 ヤコブ 1:4 だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。
【新共同訳】 ヤコブ 1:4 あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。
【新改訳改訂第3版】 ヤコブ 1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

日曜日 忍耐は神の特質(出エジプト記34:6)
【口語訳】 出 34:6 主は彼の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、
【新共同訳】 出 34:6 主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、
【新改訳改訂第3版】 出 34:6 【主】は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「【主】、【主】は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、
*ヨナの忍耐
【口語訳】 ヨナ 4:2 主に祈って言った、「主よ、わたしがなお国におりました時、この事を申したではありませんか。それでこそわたしは、急いでタルシシにのがれようとしたのです。なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。
【新共同訳】 ヨナ 4:2 彼は、主に訴えた。「ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。
【新改訳改訂第3版】 ヨナ 4:2 【主】に祈って言った。「ああ、【主】よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。
問1
【口語訳】 二ペテ 3:8.9
3:8 愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。 3:9 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。 【新共同訳】 二ペテ 3:8.9
3:8 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。 3:9 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。 【新改訳改訂3】 Ⅱペテ 3:8.9
3:8 しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。 3:9 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。 【リビング・バイブル】 Ⅱペテ 3:8.9
3:8 愛する皆さん。 いいですか。 主にとって、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。 3:9 それで、再び主がおいでになるという約束が、なかなか実現しないので、時には、いったいどうしたのかと、じれったく思うかもしれません。 しかし主は、いたずらに日を延ばしておられるのではありません。 かえって、一人でも滅びないように、罪人が悔い改めるために必要な時間を与えようと、待っておられるのです。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
8〈見落としてはいけません〉.事柄の重要性を示し,5節と対照的.〈1日は千年……千年は1日〉.詩90:4参照.神は時間に制約されない存在故,人間の時間概念をもって早い遅いは論じられない.9〈ある人たち〉.①「あざける者ども」(3),②主の来臨の遅れから最後のさばきに疑義を持ち始めた信徒たちという説がある.①が妥当.②は9節後半「あなたがた」の中に含まれていると考えられる.〈忍耐深く〉.「怒るのにおそく」という,旧約に貫かれている神の性質を反映させている(出34:6).〈ひとりでも……望んでおられる〉.「万人救済説」の根拠とはならない.キリストの再臨に伴うさばきを前に,悔い改めを願う神のあわれみの表出である.
問2
【口語訳】 ロマ 15:5 どうか、忍耐と慰めとの神が、あなたがたに、キリスト・イエスにならって互に同じ思いをいだかせ、
【新共同訳】 ロマ 15:5 忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、
【新改訳改訂第3版】 ロマ 15:5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。
【リビング・バイブル】 ロマ 15:5 どうか、不動の忍耐力と励ましを与える神様が、あなたがたが一つ思いとなって仲よく暮らしてゆけるよう、助けてくださいますように。 一人一人が互いに、キリスト様の、他の人に対する態度を見ならうことができますように。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
聖書を通して忍耐と励ましを与えて下さる神は,〈忍耐と励ましの神〉(5)と呼ばれるにふさわしい方である.神が忍耐と励ましを与えて下さるのは,〈互いに同じ思いを持〉って一致を保つためである.

月曜日 忍耐の必要
問3
【口語訳】 エペ 4:1.2
4:1 さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、 4:2 できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、 【新共同訳】 エペ 4:1.2
4:1 そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、 4:2 一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、 【新改訳改訂3】 エペ 4:1.2
4:1 さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。 4:2 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、 【リビング・バイブル】 エペ 4:1.2
4:1 主に仕えたために、今こうして牢獄につながれている私から、お願いします。 このようにすばらしい祝福を受けるべくして選ばれたあなたがたは、それにふさわしく生活し、行動してください。 4:2 謙そんで柔和な人になってください。 愛をもって互いの欠点を思いやり、互いに忍耐してください。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
1 〈主の囚人〉.原文は「主にある囚人」.3:1では「キリスト・イエスの囚人」と言い,ダマスコ途上でイエスが彼を異邦人伝道に立てられた(使9:15)ことを意識していたが,ここでは主に従うしもべとしての歩みへの導入になっている.〈召しにふさわしく〉.特定の任務への召命ではなく,救いへの導きのこと,すなわち救いにあずかった者らしく,更に新しい共同体の形成へと召された者にふさわしく,である.パウロこそ良き模範であった(参照Ⅰコリ11:1,ピリ3:17) 2 例えば〈謙遜〉.キリストはご自分を「卑しくし」て模範を示され(ピリ2:8),御跡に従ったパウロも「謙遜」の限りを尽して主に仕えた(使20:19).〈柔和〉.キリストは「心優しく」あられた(マタ11:29).ヤコブは「すなお」に御言葉を受け入れよと言う(ヤコ1:21).〈寛容〉.原義は「大きな心」.神の人に対するものではロマ2:4,9:22,Ⅰテモ1:16(「忍耐」Ⅰペテ3:20,Ⅱペテ3:15).人の人に対するものではⅠコリ13:4,ガラ5:22,コロ3:12,Ⅱテモ4:2.〈忍〉ぶ.原義は「棚上げにする」で,「がまんする」(マタ17:17とその並行箇所),「こらえる」(Ⅱコリ11:1,4,19,20)など.〈愛をもって〉(参照Ⅰコリ13:4‐7)
問4
【口語訳】 ロマ 14:1 信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。
【新共同訳】 ロマ 14:1 信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。
【新改訳改訂第3版】 ロマ 14:1 あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。
【リビング・バイブル】 ロマ 14:1 仲間に加わりたいという人がいたら、たとい信仰の弱い人であっても、あたたかく迎え入れなさい。 事の良し悪しについて考えが違うからといって、批判してはいけません。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
この書簡で初めて,ローマ教会の現実の問題が取り上げられる.それはキリスト者の自由を巡っての対立であった.「信仰の弱い人」と「信仰の強い人」との対立が,具体的にどのような内容のものであり,その対立がどのような形で現れていたか,多くの見解があるが,判定は出来ない.ただ,キリスト教信仰の基本の理解について不充分な者が〈信仰の弱い人〉(1)と呼ばれているのではないことは確かである.その点,ガラテヤ教会に見られたような福音を巡る正統と異端の対立ではない.福音を信じて律法から解放されているキリスト者は,食物規定や日の規定から解放されて自由となっている者であるが,なお,そうした規定の中にとどまっている人たちがいた.ここでまず,信仰の強い人は,信仰の弱い人の意見をさばかないで,主にある兄弟として受け入れることが求められている(1).
【口語訳】 ロマ 15:1 わたしたち強い者は、強くない者たちの弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない。
【新共同訳】 ロマ 15:1 わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。
【新改訳改訂第3版】 ロマ 15:1 私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。
【リビング・バイブル】 ロマ 15:1 -2何かをする場合、別に主に対して何の支障もないとわかっていても、ただ自分の喜びのためにするのはいけません。 それは悪いことではないかと、疑問や不安をいだく人のことを思いやり、そういう弱い人々の「重荷」を軽くしてやりなさい。 自分ではなく、人を喜ばせましょう。 そして、人の益になることをし、その人が主にあって成長できるよう助けましょう。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
前章の弱い人と強い人との対立が,ここでは〈力のある者〉と〈力のない人〉との対立に置き換えられ,パウロは自分を強い者の1人に組み入れて,〈私たち力のある者は,力のない人たちの弱さをになうべきです〉と勧める(1).力や強さが主から与えられている恩恵であることを自覚するなら,その強さや力を〈自分を喜ばせる〉ためにだけ用いることは許されない.だから,力のある者とさせていただいている者は〈ひとりひとり〉,その強さを〈隣人を喜ばせ,その徳を高め,その人の益となるようにすべきです〉(2).隣人をつまずかせるような用い方は慎まなければならない

火曜日 宣教における忍耐
問5
【口語訳】 マル 4:26-29
4:26 また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。 4:27 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。 4:28 地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。 4:29 実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである」。 【新共同訳】 マル 4:26-29
4:26 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、 4:27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。 4:28 土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。 4:29 実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」 【新改訳改訂3】 マル 4:26-29
4:26 また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、 4:27 夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。 4:28 地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。 4:29 実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」 【リビング・バイブル】 マル 4:26-29
4:26 神の国のたとえを、もう一つ話しましょう。 ある農夫が畑に種をまいて、4:27 家に帰りました。 日がたつにつれて、別に何もしなくても、種はどんどん生長しました。 4:28 土が種を生長させるからです。 まず芽が出て、次に穂、そして最後に実が入ります。 4:29 すると、さっそく農夫が刈り取るのです。」 注解   (聖書の達人2聖書注解)
神の国が再び種のイメージで語られる.2つのたとえは,どちらも小さな始まりと莫大な収穫を対比している.特に前半のたとえは,生長過程が人手によらず,神の力の介入による神秘であることを強調する.それは〈そうこうしているうちに〉(27)とあるように,人が自由にコントロール出来るものではない.神の国とは神の支配であり,そこに神の主権が強く働いている.小さなガリラヤ伝道の中に,すでにサタンの抵抗もあり,種を拒絶する心もある.だが,神の国は消滅することなく,着実に増大する力を持っている.やがて時が来たら,鎌が入り,収穫される(29).種をまいたのが主であれば,実を収穫するのも主である
問6
【口語訳】 サム上 16:7 しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。
【新共同訳】 サム上 16:7 しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」
【新改訳改訂第3版】 Ⅰサム 16:7 しかし【主】はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」
【リビング・バイブル】 Ⅰサム 16:7 しかし、神様はおっしゃいました。 「容貌や背の高さで判断してはいけない。 彼ではない。 わたしの選び方は、おまえの選び方とは違う。 人は外見によって判断するが、わたしは心と思いを見るのだ。」 注解   (聖書の達人2聖書注解)
ここで,サムエルが自分の思いと主の示しとを明確に区別出来たことは印象的である.彼は,真の預言者であった.〈うわべ〉(7)と訳されている言葉は,直訳すれば「見目」となるだろうか.人は表面を見て判断するが,主は内心を御覧になって判断される

水曜日 忍耐の限界(創世記6:3)
*神の忍耐は120年続いた
【口語訳】 一ペテ 3:20 これらの霊というのは、むかしノアの箱舟が造られていた間、神が寛容をもって待っておられたのに従わなかった者どものことである。その箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、わずかに八名だけであった。
【新共同訳】 一ペト 3:20 この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。
【新改訳改訂第3版】 Ⅰペテ 3:20 昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。
問7
【口語訳】 創 6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。
【新共同訳】 創 6:3 主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。
【新改訳改訂第3版】 創 6:3 そこで、【主】は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう」と仰せられた。
【リビング・バイブル】 創 6:3 その有様を見て、神様が言いました。 「わたしの霊が人間のために汚されるのを放っておけない。 人間はすっかり悪に染まっている。 反省して、正しい道に戻れるように百二十年の猶予を与えよう。」 注解   (聖書の達人2聖書注解)
〈それで人の齢は,120年にしよう〉(3).洪水の後でもしばらくは4百年以上の寿命があったので(11:10‐17),これは洪水までの期間ではないだろうか.洪水があったのはノアが6百歳の時だったので,3節の主の言葉は5:32よりは20年ばかり前のことか
問8
【口語訳】 申 31:27 わたしはあなたのそむくことと、かたくななこととを知っている。きょう、わたしが生きながらえて、あなたがたと一緒にいる間ですら、あなたがたは主にそむいた。ましてわたしが死んだあとはどんなであろう。
【新共同訳】 申 31:27 わたしはあなたがかたくなで背く者であることを知っている。わたしが今日、まだ共に生きているときでさえ、あなたたちは主に背いている。わたしが死んだ後は、なおさらであろう。
【新改訳改訂第3版】 申 31:27 私は、あなたの逆らいと、あなたがうなじのこわい者であることを知っている。私が、なおあなたがたの間に生きている今ですら、あなたがたは【主】に逆らってきた。まして、私の死後はどんなであろうか。
【リビング・バイブル】 申 31:27 「全くあなたがたは反抗的で強情だ。 こうして私がいっしょにいてさえ神様に反抗するのだから、私が死んだら、どうなることやらわかったものじゃない。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
主ご自身が民の心の内にあるものを見通しておられたように,モーセもまたこの40年間,〈あなたの逆らいと,あなたがうなじのこわい者〉であることを知っており,〈主に逆らってきた〉ことを経験していた(27).
【口語訳】 詩 95:8 あなたがたは、メリバにいた時のように、また荒野のマッサにいた日のように、心をかたくなにしてはならない。
【新共同訳】 詩 95:8 「あの日、荒れ野のメリバやマサでしたように/心を頑にしてはならない。
【新改訳改訂第3版】 詩 95:8 メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。
【リビング・バイブル】 詩 95:8 荒野のメリバやマサでのイスラエル国民のように、強情になってはいけません〔出エジプト記17・7参照〕。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
 8節.〈マサ〉は「試み」(出17:1‐7),〈メリバ〉は「争い」(民20:1‐13)を意味する
【口語訳】 エレ 17:23 しかし彼らは従わず耳を傾けず、聞くことも、戒めをうけることをも強情に拒んだ。
【新共同訳】 エレ 17:23 それをわたしはあなたたちの先祖に命じたが、彼らは聞き従わず、耳を貸そうともしなかった。彼らはうなじを固くして、聞き従わず、諭しを受け入れようとしなかった。
【新改訳改訂第3版】 エレ 17:23 しかし、彼らは聞かず、耳も傾けず、うなじのこわい者となって聞こうとせず、懲らしめを受けなかった。
【リビング・バイブル】 エレ 17:23 ところが、彼らは聞かず、従おうとしなかった。 強情を張り、注意深く教えを聞こうとしなかった。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
神は民が不従順であることを知りつつも(23),なお,もし民が安息日を守るなら(24),神はエルサレムを民の永遠の住居とし(25),国のあらゆる地域から礼拝者が群がるようにされる(26).
木曜日  忍耐を養う
問9
【口語訳】 ヤコブ 1 :2-4
1:2 わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。 1:3 あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。 1:4 だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。 【新共同訳】 ヤコブ 1:2-4
1:2 わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。 1:3 信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。 1:4 あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。 【新改訳改訂3】 ヤコブ 1:2-4
1:2 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。 1:3 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。 1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。 【リビング・バイブル】 ヤコブ 1:2-4
1:2 愛する皆さん。 あなたがたの人生は、多くの困難と誘惑に満ちていますか。 そうであれば、喜びなさい。 1:3 行く道の険しさは、忍耐を養う良いチャンスとなるからです。 1:4 忍耐力を十分に養いなさい。 さまざまな問題が持ち上がった時、そこから逃げ出そうと、もがいてはいけません。 忍耐力が十分身につけば、完全に成長した、どんなことにもビクともしない、ねばり強い性格の持ち主になれるでしょう。 注解   (聖書の達人2聖書注解)
ヤコブは主イエスと同じように,試練をどのように受け取るべきかを教え(参照マタ5:10‐12),パウロと同じように,試練を通してもたらされるものの大きな価値を強調する(参照ロマ5:3‐5) 2 〈私の兄弟たち〉.本書は厳しい言葉に満ちているが,それはヤコブの兄弟としての愛の心から出ているものである.〈さまざまな試練に会う〉とは,外的な状況から多種多様な試練がやって来ること.この〈試練〉は単なる困難ではなく,それを通してもたらされる結果や目的を念頭に置いた言葉である 3 〈ためされる〉は「精錬」とも訳せる.それを通ることによってより純粋になる試みを意味する.外的な状況や出来事として出会う試練の中に信仰の試みを見て,それを受け止めていく時,その試みは忍耐を生み出していく 4 試みによって生み出された忍耐が深まり,成長していく過程を完結させよ,とヤコブは勧める.〈欠けたところ〉とは,到達すべき水準まで至らないこと.〈成長を遂げた〉は,大人になるまで成長し,成熟したという意味.〈完全な〉は,部分的でなく全体として完全であること.成熟度においても均衡においても十分に成長した者になることが,試みの最終目的である
参考   (聖書の達人2聖書辞典)
■しれん 試練
 「試練」と訳された原語は〈ヘ〉ニッサー(動詞),〈ギ〉ペイラスモスである.ニッサーは,〈ヘ〉バーハンと同義的に「試みる,試す」の意味で用いられる.人の心の中の隠れたものが何であるかを調べるために試すこと,苦難や迫害によって人を練りきよめることを意味する(詩26:2等).旧約聖書ではアブラハムの試練(創22:1)が代表的である.新約聖書では,苦難や信仰とのかかわりにおいて強調されている.試練によって信仰が失われること(ルカ8:13),使徒の肉体の弱さが信者にとって試練となること(ガラ4:14),信仰の試練としての苦難(ルカ22:28,使20:19,黙3:10)などがあげられている.しかし,試練は驚き怪しむことではなく(Ⅰペテ4:12),この上もない喜び・幸いである(ヤコ1:2,12).神は耐えられないような試練にあわせることはない(Ⅰコリ10:13).なお,Ⅰペテ1:7の原語は〈ギ〉ドキミオンで,「試験済みの,検証済みの,最善のもの」などの意味があり,信仰の純粋性を表している.
*私たちを憎む敵もいる
【口語訳】 一ペテ 5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。
【新共同訳】 一ペト 5:8 身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。
【新改訳改訂第3版】 Ⅰペテ 5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
*確信しています。
【口語訳】 ピリ 1:6 そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。
【新共同訳】 フィリ 1:6 あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。
【新改訳改訂第3版】 ピリ 1:6 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。

金曜日 今週のメッセージ
参考   (聖書の達人2聖書辞典)
■くいあらため 悔い改め
1.旧約聖書において.悔改めの要素を含むものとしては「立ち返る」という語が多く用いられており(申30:2,イザ30:15,エレ35:15,ホセ6:1,14:1,ヨエ2:12等),罪や神への不服従の状態から神に立ち返ることを表している.その中には,個人的な例もあるが,多くは集団的,民族的な行動,行為についてのものである. 2.新約聖書において.ギリシヤ語の「悔改め」の原語は,ほとんど〈ギ〉メタノイア(または動詞〈ギ〉メタノエオー)であり,文字通りには心の転換を意味する.バプテスマのヨハネは「悔い改めなさい.天の御国が近づいたから」(マタ3:2)と叫び,主イエスも同じことばをもって宣教を開始された(マタ4:17).主の来臨の目的は「罪人を招いて,悔い改めさせるため」(ルカ5:32)であると明言され,昇天の際にも,「罪の赦しを得させる悔い改めが」世界に宣べ伝えられること(ルカ24:47)を約束された.悔改めは,初代教会にとっても中心的な主題であった.五旬節(ペンテコステ)の日の最初の説教は「悔い改めなさい」というペテロのことばで締めくくられた(使2:38).回心したパウロも伝道旅行に際してすべての人の悔改めの必要を強調した.「今は,どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます」(使17:30).使徒の働きや使徒たちの手紙,ヨハネの黙示録にこの語が頻繁に用いられていることは,初代教会が悔改めの経験を重視していたということのあかしである. 新約聖書において,悔改めは,(1)個人個人の具体的経験として明示されている.それは単なる後悔や打算的なものであってはならず(参照使8:9‐23,ヘブ12:16‐17),深い罪の認識,生活の改変を伴う根本的,徹底的な転換であった(ガラ1:23‐24,Ⅰテモ1:13‐15.参照マタ3:8,ルカ19:8,使19:18‐19,26:20,Ⅰテサ1:9).(2)悔改めをするのはその人自身であるが,そのために神御自身が恵み深く働いておられる.悔改めは神からの賜物であり(使5:31,11:18),聖霊が罪を認めさせるという悔改めに至る働きをされる(ヨハ16:8‐9).御子イエスの十字架の事実を,真心から人が仰ぎ見る時に,悔改めに至るのである(使2:36‐37,3:18‐20).神の慈愛,忍耐が人々を悔改めに導くと使徒たちも指摘している(ロマ2:4,Ⅱペテ3:9).(3)初代教会において悔改めは,救いの経験のための中心的な使信であった.使徒パウロが,あらゆる機会にあらゆる場所で説いたことは,「ユダヤ人にもギリシヤ人にも神に対する悔い改めと,私たちの主イエスに対する信仰」(使20:21.参照使26:20)であった.前掲の多くの悔改めに関する引照は,このことが彼らのメッセージそのものであったことを示している. 3.悔改めとは.(1)悔改めは,単なる思念の領域の問題ではなく,全人格にかかわる根本的な転換である.聖書的な,福音的な悔改めとは,みことばと御霊の働きによって罪人の心に与えられる強い光と促しに対して全身全霊をもって応答することである.具体的に言えば,神の与えられる光と,罪の解決のためになされた主の十字架の贖いのみわざを通して自らの罪深さを知り,悲しみ,救いの道を開かれた神の愛と恵みを深く覚えて,救い主のみに信頼し,罪を離れて神に立ち返るための決定的な告白の行動をとることである.それゆえこのような真実な悔改めには,それにふさわしい行動や実が伴うことも,上記に引照した聖句から明らかである.後悔の念,決心,告白(ざんげ)は,悔改めそのものではない.(2)悔改めにおける神的要素と人的要素は,聖書的に,かつ正しい調和をもって受け止めなければならない.悔改めは人間の行為であるから,神の助けを受けずに罪人自身の力によってなし遂げられると考えることは神をないがしろにすることになり,また逆に神の働き,力によってのみ人間は悔い改めることができるという面を不健全に強調することは,砕かれたたましい,求めるたましいを時として失望や混乱に陥れたり受身にすることになり,両極端共に非聖書的である.悔改めは,人間の行為であるが,それを可能にする愛の神の働きと聖霊の認罪への強い促しが必ずあるのである.(3)救いに至らせる信仰と悔改めは,不可分の関係にある.使徒たちの福音宣教の中心には悔改めがおかれ,悔改めによる救いが強調されているが,それは信仰による義認と矛盾するものではない.真実な悔改めこそが,純粋な信仰に連なるもので,悔改めを伴わない信仰は,真の救いに導く信仰とは言えない.また贖いのみわざに対する信仰のない悔改めは,どんなものであっても人を救いに至らせることはない.救いは真実に信仰のみによるが,信仰は悔改めから発するし,悔改めを伴うものである.主イエスは「悔い改めて福音を信じなさい」(マコ1:15)と宣言し,パウロも「神に対する悔い改めと,私たちの主イエスに対する信仰」(使20:21)を強調している.(竿代信和)
*人間は神のあわれみにつけ込む
【口語訳】 伝 8:11 悪しきわざに対する判決がすみやかに行われないために、人の子らの心はもっぱら悪を行うことに傾いている。
【新共同訳】 コヘ 8:11 悪事に対する条令が速やかに実施されないので/人は大胆に悪事をはたらく。
【新改訳改訂第3版】 伝 8:11 悪い行いに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行う思いで満ちている。

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