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第08課 預言者の権威

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작성자 나도람 작성일09-02-13 18:21 조회3,227회 댓글0건

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第08課 預言者の権威


暗唱聖句
【口語訳】 一テサ 5:20-21
5:20 預言を軽んじてはならない。5:21 すべてのものを識別して、良いものを守り、 【新共同訳】 一テサ 5:20-21
5:20 預言を軽んじてはいけません。 5:21 すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。 【新改訳改訂3】 Ⅰテサ 5:20-21
5:20 預言をないがしろにしてはいけません。 5:21 しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。 【リビング・バイブル】 Ⅰテサ 5:20-21
5:20 預言する者を軽べつしてはいけません。 5:21 万事よく調べて、それがほんとうに良いものかどうかを確かめなさい。 そして、ほんとうに良いものであれば、受け入れなさい。 【NKJV】 1Th 5:20-21
5:20 Do not despise prophecies. 5:21 Test all things; hold fast what is good. 【TEV】 1Th 5:20-21
5:20 do not despise inspired messages. 5:21 Put all things to the test: keep what is good 【KJV】 1Th 5:20-21
5:20 Despise not prophesyings. 5:21 Prove all things; hold fast that which is good. 【NIV】 1Th 5:20-21
5:20 do not treat prophecies with contempt. 5:21 Test everything. Hold on to the good. J-ばいぶるGREEK 原書講読画面
1Th 5:20
profhtei,aj mh. evxouqenei/te(
<文法解析ノート> 1Th 5:20
@1# profhtei,a profhtei,aj n-af-p 名)対女複 預言
@2# mh, mh. qn 不変)否定 ~ない
@3# evxouqene,w evxouqenei/te(
vmpa--2p 動)命現能2複 見下す、侮辱する、見捨てる
J-ばいぶるGREEK 原書講読画面
1Th 5:21
pa,nta de. dokima,zete( to. kalo.n kate,cete(
<文法解析ノート> 1Th 5:21
@1# pa/j pa,nta ap-an-p 形)対 全部で、すべての、どんな~でも、あらゆる、あらんかぎりの、1つも欠けが無い
@2# de, de. ch 接)完等 さて、そして、次に、しかし
@3# dokima,zw dokima,zete( vmpa--2p 動)命現能2複 テストする、試す、見分ける
@4# o` to. dans 冠)対中 冠詞(この、その)
@5# kalo,j kalo.n ap-an-s 形)対中単 よい、よろしい、美しい
@6# kate,cw kate,cete( vmpa--2p 動)命現能2複 引き止める、防止する、持つ
注解   (聖書の達人2聖書注解)
預言をないがしろにしてはいけない.〈ないがしろに〉(20)するとは,霊の賜物に無関心になること〈すべてのことを見分け〉(21a)ること,すなわち,霊の賜物だけでなく万事を判別すること.〈見分け〉る(〈ギ〉ドキマゾー)は「パウロの好きな語で,貨幣や金属の真偽を試すことを指す」(レンスキー).使徒的な言い伝えと一致する預言の真理を守ること(21b)

日曜日 神の代弁者としての預言者
問1
【口語訳】 出 4:10-17
4:10 モーセは主に言った、「ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです」。 4:11 主は彼に言われた、「だれが人に口を授けたのか。話せず、聞えず、また、見え、見えなくする者はだれか。主なるわたしではないか。 4:12 それゆえ行きなさい。わたしはあなたの口と共にあって、あなたの言うべきことを教えるであろう」。 4:13 モーセは言った、「ああ、主よ、どうか、ほかの適当な人をおつかわしください」。 4:14 そこで、主はモーセにむかって怒りを発して言われた、「あなたの兄弟レビびとアロンがいるではないか。わたしは彼が言葉にすぐれているのを知っている。見よ、彼はあなたに会おうとして出てきている。彼はあなたを見て心に喜ぶであろう。 4:15 あなたは彼に語って言葉をその口に授けなさい。わたしはあなたの口と共にあり、彼の口と共にあって、あなたがたのなすべきことを教え、 4:16 彼はあなたに代って民に語るであろう。彼はあなたの口となり、あなたは彼のために、神に代るであろう。 4:17 あなたはそのつえを手に執り、それをもって、しるしを行いなさい」。 【新共同訳】 出 4:10-17
4:10 それでもなお、モーセは主に言った。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」4:11 主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。 4:12 さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」 4:13 モーセは、なおも言った。「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」 4:14 主はついに、モーセに向かって怒りを発して言われた。「あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。わたしは彼が雄弁なことを知っている。その彼が今、あなたに会おうとして、こちらに向かっている。あなたに会ったら、心から喜ぶであろう。 4:15 彼によく話し、語るべき言葉を彼の口に託すがよい。わたしはあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなたたちのなすべきことを教えよう。 4:16 彼はあなたに代わって民に語る。彼はあなたの口となり、あなたは彼に対して神の代わりとなる。 4:17 あなたはこの杖を手に取って、しるしを行うがよい。」 【新改訳改訂3】 出 4:10-17
4:10 モーセは【主】に申し上げた。「ああ主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」 4:11 【主】は彼に仰せられた。「だれが人に口をつけたのか。だれが口をきけなくし、耳を聞こえなくし、あるいは、目を開いたり、盲目にしたりするのか。それはこのわたし、【主】ではないか。 4:12 さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言うべきことを教えよう。」 4:13 すると申し上げた。「ああ主よ。どうかほかの人を遣わしてください。」 4:14 すると、【主】の怒りがモーセに向かって燃え上がり、こう仰せられた。「あなたの兄、レビ人アロンがいるではないか。わたしは彼がよく話すことを知っている。今、彼はあなたに会いに出て来ている。あなたに会えば、心から喜ぼう。 4:15 あなたが彼に語り、その口にことばを置くなら、わたしはあなたの口とともにあり、彼の口とともにあって、あなたがたのなすべきことを教えよう。 4:16 彼があなたに代わって民に語るなら、彼はあなたの口の代わりとなり、あなたは彼に対して神の代わりとなる。 4:17 あなたはこの杖を手に取り、これでしるしを行わなければならない。」
注解   (聖書の達人2聖書注解)
この段落はモーセの更なる訴えである.それに対する主の答は2つの部分から成る.1つはモーセの口と共にあるとの約束であり,もう1つはアロンが代りを務めるとの約束である.神はアロンの口とも共にあることを約束された.〈私はことばの人ではありません〉(10)とのモーセの訴えは,その使命の性質から考えると深刻なものである.神の召命に対して弱さを訴える例はほかにもある(例:士6:14‐15,Ⅰサム10:20‐24,Ⅰ列3:5‐9,イザ6:5‐8,エレ1:4‐10).これは,旧約における「弱い者が強くされる」というモチーフとも関係する(例:士6:11‐24,Ⅰサム16:1‐13,17:19‐54等).これにより,神の言葉,神の支配,神の教え,神の救いは,人に由来せず,ただ神からのみ来ることが明らかにされる.イスラエルの選びそのものがこれと同じ原理によってなされている.ヤハウェは〈だれが……するのか〉(11)と問い,創造者としての圧倒的な力を示される.更に〈わたしがあなたの口とともにあって〉(12)と,〈ヘ〉エフイェ・イムのモチーフを繰り返す.13節の再度の訴えに対しても主は応えられ,アロンの補助者としての役割が示される.〈彼の口とともにあって〉(15).17節で杖のことが再び取り上げられるのは,ためらうモーセを主があくまで用いようとされる御心の現れである
*アロンはモーセの口(預言者)となる
【新共同訳】 出7:1 主はモーセに言われた。「見よ、わたしは、あなたをファラオに対しては神の代わりとし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる。
月曜日 人となられた言(ことば)の権威
*イエスはラビ式のやり方で質問に応じる
【新共同訳】 マタ 21:23-27
21:23 イエスが神殿の境内に入って教えておられると、祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った。「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか。」 21:24 イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねる。それに答えるなら、わたしも、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。 21:25 ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか。」彼らは論じ合った。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と我々に言うだろう。
21:26 『人からのものだ』と言えば、群衆が怖い。皆がヨハネを預言者と思っているから。」 21:27 そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。すると、イエスも言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」 参考   (聖書の達人2聖書辞典)
■けんい 権威 権威と訳されている〈ギ〉エクスーシアは,新約聖書の中で,罪を赦す力(ルカ5:24),悪霊を追い出す力(マコ6:7),神の子としての特権(ヨハ1:12),この世の統治者の権力(ヨハ19:10),所有する権利(Ⅰコリ9:6),結婚にかかわる権利と義務(Ⅰコリ7:4),使徒の特権(Ⅰコリ9:6),キリストの王権(マタ28:18)等の意味に訳されている.この語の概念には,人に承認と服従を要求する霊的,精神的,道徳的,社会的または法的威力のすべてが含まれている.
聖書は,権威の真の源は創造主である神にあることを明らかにしている.生来的にはどんな人も何の権威も持っていない.人間が持っている権威はあくまでも派生的,委任的なものである(マタ21:23,ロマ13:1‐7).神だけが権威の所有者であるのは,神が唯一であり,他に比較するものなく(申4:39,6:4),自立自存,自己充足のお方であり,そのお方が御自分の自由な意志によって万物を創造し,統治し,絶対的な主権を持っているからである(創1:1,31).この権威は神の知,義,聖などのような神の属性の一つではなく,至高者である神の完全性に起因する大権である.神はこの権威を神の子を通して行使される.キリストは,人となって神の救いのわざを行った神のしもべであったが,同時に「すべての支配と権威のかしら」(コロ2:10)とされた神の子である.この世の政治も,キリストから出たものであって,究極的にはキリストに帰着する.キリストはまた,罪を赦し(マコ2:10),悪霊の力から人々を自由にし(マタ8:28‐34),病気と死を克服し(ヨハ11:38‐44),さらに神の権威をもって教える力(マタ7:28‐29)を持っている.神の権威そのものはイエス・キリストにおいて具現されており,相対的なこの世の権威,あるいは教会の権威もすべてこの絶対的な権威を基準としてはかられなければならない. 新約聖書においては,イエス・キリストのわざの目撃者であった使徒たちのみがキリストの第一義的な証人であり,直接の権威はただ彼らにのみ帰している.したがって,使徒たちの権威は,霊感を受けた彼らの著作の中に保存されており,その証言を通して,キリスト御自身が今もなお聖霊によって語り,働いているのである.言い換えれば,実に聖書を通して,今,イエス・キリストは御自分の神としての権威を行使し,神の真理を知らせ,命令を下し,従うべき規準を示しているのである.
問2
【口語訳】 マタ 7:28-29
7:28 イエスがこれらの言を語り終えられると、群衆はその教にひどく驚いた。 7:29 それは律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。 【新共同訳】 マタ 7:28-29
7:28 イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。 7:29 彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。 【新改訳改訂3】 マタ 7:28-29
7:28 イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。
7:29 というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。
注解   (聖書の達人2聖書注解)
群衆が驚嘆したのは,イエスが律法学者のように他の権威に訴えることをせず,「わたしはあなたがたに言います」といったように自らの権威において語り,しかもご自分の言葉に対する態度によって人の運命が決るとまで語ったからである
【口語訳】 マル 1:21-27
1:21 それから、彼らはカペナウムに行った。そして安息日にすぐ、イエスは会堂にはいって教えられた。 1:22 人々は、その教に驚いた。律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。 1:23 ちょうどその時、けがれた霊につかれた者が会堂にいて、叫んで言った、 1:24 「ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんの係わりがあるのです。わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」。 1:25 イエスはこれをしかって、「黙れ、この人から出て行け」と言われた。 1:26 すると、けがれた霊は彼をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。 1:27 人々はみな驚きのあまり、互に論じて言った、「これは、いったい何事か。権威ある新しい教だ。けがれた霊にさえ命じられると、彼らは従うのだ」。 【新共同訳】 マル 1:21-27
1:21 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。 1:22 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。 1:23 そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。 1:24 「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」 1:25 イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、 1:26 汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。 1:27 人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」 【新改訳改訂3】 マル 1:21-27
1:21 それから、一行はカペナウムに入った。そしてすぐに、イエスは安息日に会堂に入って教えられた。 1:22 人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。
1:23 すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。 1:24 「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」 1:25 イエスは彼をしかって、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。 1:26 すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。 1:27 人々はみな驚いて、互いに論じ合って言った。「これはどうだ。権威のある、新しい教えではないか。汚れた霊をさえ戒められる。すると従うのだ。」
注解   (聖書の達人2聖書注解)
 〈会堂〉(21)は,ユダヤ教の集会場である.そこで,人々は安息日に祈り,律法学者が聖書を朗読し,解釈するのを聞いた.律法学者は,成文律法(トーラー),及びそれと同様な権威を持つと見なされた「口伝律法」(ハラーカー,→7:1‐13注解)の専門家,それらを人々の生活に解釈・適用する教師(ラビ)である.ここでは,イエスの教えの内容は記されていない.ただ,その教えが,権威の点で律法学者のそれと著しく異なることが強調される.律法学者が,常に過去の教師を後ろ盾に,自分の解釈の正当性を立証したのに対し,イエスは他の権威の後ろ盾を必要とせず,独立したご自身の権威から語られた(比較:マタ5章「しかし,わたしはあなたがたに言います」).この「質」の違いに人々は驚いた(22)
 それは,博学の権威ではない.イエスを前にしただけで,汚れた霊がおびえる権威である(24).汚れた霊をしかり,〈出て行け〉(25)と命じる権威である.その前で,霊が完全に敗北し,従わざるを得ない権威(26)━━人々は,このような力を体験したことがなかった.27節の〈新しい〉は,時間的な新しさ(〈ギ〉ネオス)ではなく,以前には知られていない質的な新しさ(〈ギ〉カイノス)である.この新しい働きを前に,人々は驚くばかりである(22,27).
【口語訳】 ルカ 8:22-25
8:22 ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗り込み、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、一同が船出した。 8:23 渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。 8:24 そこで、みそばに寄ってきてイエスを起し、「先生、先生、わたしたちは死にそうです」と言った。イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった。 8:25 イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」。彼らは恐れ驚いて互に言い合った、「いったい、このかたはだれだろう。お命じになると、風も水も従うとは」。 【新共同訳】 ルカ 8:22-25
8:22 ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われたので、船出した。 8:23 渡って行くうちに、イエスは眠ってしまわれた。突風が湖に吹き降ろして来て、彼らは水をかぶり、危なくなった。 8:24 弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれそうです」と言った。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。 8:25 イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。弟子たちは恐れ驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と互いに言った。 【新改訳改訂3】 ルカ 8:22-25
8:22 そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。 8:23 舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。 8:24 そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです」と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も収まり、なぎになった。 8:25 イエスは彼らに、「あなたがたの信仰はどこにあるのです」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」 注解   (聖書の達人2聖書注解)
〈湖〉(22)はガリラヤ湖のこと.1986年,ガリラヤ湖底から2千年前の舟がほぼ完全な形で発見された.現在ゲネサレ記念館の水槽に保存され,当時の〈舟〉(22)の姿をほうふつとさせる.イエスは自然をも従わせる主である(25b,詩89:9,104:7).→マコ4:35‐41注解
【口語訳】 ルカ 9:1 それからイエスは十二弟子を呼び集めて、彼らにすべての悪霊を制し、病気をいやす力と権威とをお授けになった。
【新共同訳】 ルカ 9:1 イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。
【新改訳改訂第3版】 ルカ 9:1 イエスは、十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とをお授けになった。
【リビング・バイブル】 ルカ 9:1 ある日、イエスは十二人の弟子を呼び集め、悪霊を追い出し、病気を治す力と権威とをお授けになりました。 【口語訳】 ヨハ 5:25‐27
5:25 よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが、神の子の声を聞く時が来る。今すでにきている。そして聞く人は生きるであろう。 5:26 それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである。 5:27 そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。 【新共同訳】 ヨハ 5:25‐27
5:25 はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。 5:26 父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。
5:27 また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。 【新改訳改訂3】 ヨハ 5:25‐27
5:25 まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。 5:26 それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。 5:27 また、父はさばきを行う権を子に与えられました。子は人の子だからです。
*究極的な権威は私たちの創造主・・・
【新共同訳】 ヨハ1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 *・・・購い主
【新共同訳】 ロマ3:24 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。 *キリストは罪を赦し
【新共同訳】 マル2:10 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。 *悪霊を追い出し
【新共同訳】 マル3:15 悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。 *人の心を裁き
【新共同訳】 ヨハ 2:24-25
2:24 しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、 2:25 人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。 *永遠の命を与える
【新共同訳】 ヨハ10:28 わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。 *権威は父なる神から与えられた
【新共同訳】 ヨハ17:2 あなたは子にすべての人を支配する権能をお与えになりました。そのために、子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができるのです。 *神への依存と協力のもと
【新共同訳】 ヨハ5:19 そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。 *キリストは絶対的な権威をもつ
【新共同訳】 マタ28:18 イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。 *弟子たちに権威をゆだね
【新共同訳】 マル6:7 そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、 *すべての人を裁かれる
【新共同訳】 ヨハ5:27 また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。
火曜日 書かれたみ言葉の権威
問3
【口語訳】 列王下 22:10-13
22:10 書記官シャパンはまた王に告げて「祭司ヒルキヤはわたしに一つの書物を渡しました」と言い、それを王の前で読んだ。 22:11 王はその律法の書の言葉を聞くと、その衣を裂いた。 22:12 そして王は祭司ヒルキヤと、シャパンの子アヒカムと、ミカヤの子アクボルと、書記官シャパンと、王の大臣アサヤとに命じて言った、 22:13 「あなたがたは行って、この見つかった書物の言葉について、わたしのため、民のため、またユダ全国のために主に尋ねなさい。われわれの先祖たちがこの書物の言葉に聞き従わず、すべてわれわれについてしるされている事を行わなかったために、主はわれわれにむかって、大いなる怒りを発しておられるからです」。 【新共同訳】 列王下 22:10-13
22:10 更に書記官シャファンは王に、「祭司ヒルキヤがわたしに一つの書を渡しました」と告げ、王の前でその書を読み上げた。 22:11 王はその律法の書の言葉を聞くと、衣を裂いた。 22:12 王は祭司ヒルキヤ、シャファンの子アヒカム、ミカヤの子アクボル、書記官シャファン、王の家臣アサヤにこう命じた。 22:13 「この見つかった書の言葉について、わたしのため、民のため、ユダ全体のために、主の御旨を尋ねに行け。我々の先祖がこの書の言葉に耳を傾けず、我々についてそこに記されたとおりにすべての事を行わなかったために、我々に向かって燃え上がった主の怒りは激しいからだ。」 【新改訳改訂3】 Ⅱ列王 22:10-13
22:10 ついで、書記シャファンは王に告げて、言った。「祭司ヒルキヤが私に一つの書物を渡してくれました。」そして、シャファンは王の前でそれを読み上げた。 22:11 王は律法の書のことばを聞いたとき、自分の衣を裂いた。 22:12 王は祭司ヒルキヤ、シャファンの子アヒカム、ミカヤの子アクボル、書記シャファン、王の家来アサヤに命じて言った。 22:13 「行って、この見つかった書物のことばについて、私のため、民のため、ユダ全体のために、【主】のみこころを求めなさい。私たちの先祖が、この書物のことばに聞き従わず、すべて私たちについてしるされているとおりに行わなかったため、私たちに向かって燃え上がった【主】の憤りは激しいから。」
注解   (聖書の達人2聖書注解)
シャファンと(その一族と考えられている)3人の子と孫1人は捕囚前後のユダの緊迫した状況下で重要な役割を果す.シャファンが律法の書を最初に自分で読んで王に報告し,王の前で読み上げたことが,改革を行う動機付け,発端となった.その時協力したシャファンの子アヒカム(12)は,エホヤキム王の預言者殺害に際し,エレミヤをかばい(エレ26:24),アヒカムの子ゲダルヤ(孫)はエレミヤの保護監視役を務め(エレ39:14,40:6)た後,エルサレム崩壊後はネブカデネザルによってユダの総督とされた(25:22,エレ40:7).シャファンの子エルアサはユダ王ゼデキヤによってバビロンに使者として派遣された時,捕囚民へのエレミヤの言葉を託された.この手紙はバビロン捕囚70年に関するもので重要(エレ29章).もう1人の子ゲマルヤもその子ミカヤと共にエレミヤの言葉を恐れた(エレ36:10以下).エルサレム滅亡というユダ王国の歴史の終局に立ち会い,活動した少数の者たちが律法の書発見の感動に触れた者たちであることに注目したい 〈ヒルキヤ〉(12).後のエズラの祖先に当るか(エズ7:1).同名異人他多数.〈律法の書〉(11)は「モーセを通して示された主の律法の書」(Ⅱ歴34:14).普通は単に「律法」と言う.これが「モーセ五書」を指すのか,申命記(あるいはその一部)を指すのか意見が分れる.改革の方向を決定付けたのであるから,激しく偶像礼拝を罪として語っている申命記が考えられるが,それだけに限定する必要はない.発見された書は神殿用の書として大切にされていたもので,マナセとアモンの偶像礼拝の時代にどこかに埋れたか隠されていたと考えられる.その発見の感動は大祭司→シャファン→王へと伝えられた 王の反応は驚き,感動,悲しみ,怒りを表す(11).恐らくヨシヤは律法の書をまだ見たことがなかったと思われる.幼い時から側近を通して教えられてきたことの明確な根拠が,自らの手がけた改革と主の宮修理に呼応するかのように発見されたことは,ヨシヤにとって偶然のことではなく,神の摂理以外の何ものでもない.今までの主への熱心は他人から教えられたものであったが,今自ら律法の書を読み,律法の書によって目が開かれたことの感動は大きい.しかし律法の書によって明らかにされたユダの実情は以前にも増して悲しみとなり,今までの罪に対する対応の不徹底さを自らに対して怒ることになる.〈主のみこころ〉(13)とはユダ王国が今何をなすべきかにかかわる.すでに改革は始まっており,それなりの成果を収めていたが,それに満足することなく,ヨシヤは改めて〈燃え上がった主の憤り〉(13)の激しさを知る.主の憤りをマナセとアモンによる背信の現状から感じていたにしても,ヨシヤが主の憤りの激しさを「律法の書」から読み取ったことは重要.罪を知るのは御言葉によるのであって,悲惨な状態によってではない.〈求めなさい〉(13)とは,主の憤りを引っ込めさせるべく(民25:11),律法の書によって学び,具体的措置を講じ,何よりも律法の書発見にかかわる現時点での神の御心を求めることである
【口語訳】 エレ 36:22-31
36:22 時は九月であって、王は冬の家に座していた。その前に炉があって火が燃えていた。 36:23 エホデが三段か四段を読むと、王は小刀をもってそれを切り取り、炉の火に投げいれ、ついに巻物全部を炉の火で焼きつくした。 36:24 王とその家来たちはこのすべての言葉を聞いても恐れず、またその着物を裂くこともしなかった。 36:25 エルナタン、デラヤおよびゲマリヤが王にその巻物を焼かないようにと願ったときにも彼は聞きいれなかった。 36:26 そして王は王子エラメルとアヅリエルの子セラヤとアブデルの子セレミヤに、書記バルクと預言者エレミヤを捕えるようにと命じたが、主は彼らを隠された。 36:27 バルクがエレミヤの口述にしたがって筆記した言葉を載せた巻物を王が焼いた後、主の言葉がエレミヤに臨んだ、 36:28 「他の巻物を取り、ユダの王エホヤキムが焼いた、前の巻物のうちにある言葉を皆それに書きしるしなさい。 36:29 またユダの王エホヤキムについて言いなさい、『主はこう仰せられる、あなたはこの巻物を焼いて言った、「どうしてあなたはこの巻物に、バビロンの王が必ず来てこの地を滅ぼし、ここから人と獣とを絶やす、と書いたのか」と。 36:30 それゆえ主はユダの王エホヤキムについてこう言われる、彼の子孫にはダビデの位にすわる者がなくなる。また彼の死体は捨てられて昼は暑さにあい、夜は霜にあう。 36:31 わたしはまた彼とその子孫とその家来たちをその罪のために罰する。また彼らとエルサレムの民とユダの人々には災を下す。この災のことについては、すでに語ったけれども、彼らは聞くことをしなかった』」。 【新共同訳】 エレ 36:22-31
36:22 王は宮殿の冬の家にいた。時は九月で暖炉の火は王の前で赤々と燃えていた。 36:23 ユディが三、四欄読み終わるごとに、王は巻物をナイフで切り裂いて暖炉の火にくべ、ついに、巻物をすべて燃やしてしまった。 36:24 このすべての言葉を聞きながら、王もその側近もだれひとり恐れを抱かず、衣服を裂こうともしなかった。 36:25 また、エルナタン、デラヤ、ゲマルヤの三人が巻物を燃やさないように懇願したが、王はこれに耳を貸さなかった。 36:26 かえって、王は、王子エラフメエル、アズリエルの子セラヤ、アブデエルの子シェレムヤに命じて、書記バルクと預言者エレミヤを捕らえようとした。しかし、主は二人を隠された。 36:27 バルクがエレミヤの口述に従ってこれらの言葉を書き記した巻物を王が燃やした後に、主の言葉がエレミヤに臨んだ。 36:28 「改めて、別の巻物を取れ。ユダの王ヨヤキムが燃やした初めの巻物に記されていたすべての言葉を、元どおりに書き記せ。 36:29 そして、ユダの王ヨヤキムに対して、あなたはこう言いなさい。主はこう言われる。お前はこの巻物を燃やしてしまった。お前はエレミヤを非難して、『なぜ、この巻物にバビロンの王が必ず来て、この国を滅ぼし、人も獣も絶滅させると書いたのか』と言った。
36:30 それゆえ、主はユダの王ヨヤキムについてこう言われる。彼の子孫には、ダビデの王座につく者がなくなる。ヨヤキムの死体は投げ出されて、昼は炎熱に、夜は霜にさらされる。 36:31 わたしは、王とその子孫と家来たちをその咎のゆえに罰する。彼らとエルサレムの住民およびユダの人々に災いをくだす。この災いは、すべて既に繰り返し告げたものであるが、彼らは聞こうとはしなかった。」 【新改訳改訂3】 エレ 36:22-31
36:22 第九の月であったので、王は冬の家の座に着いていた。彼の前には暖炉の火が燃えていた。 36:23 エフディが三、四段を読むごとに、王は書記の小刀でそれを裂いては、暖炉の火に投げ入れ、ついに、暖炉の火で巻き物全部を焼き尽くした。 36:24 王も、彼のすべての家来たちも、これらのすべてのことばを聞きながら、恐れようともせず、衣を裂こうともしなかった。 36:25 エルナタンとデラヤとゲマルヤは、巻き物を焼かないように、王に願ったが、王は聞き入れなかった。 36:26 王は、王子エラフメエルと、アズリエルの子セラヤと、アブデエルの子シェレムヤに、書記バルクと預言者エレミヤを捕らえるよう命じたが、【主】はふたりを隠された。 36:27 王が、あの巻き物、バルクがエレミヤの口述で書きしるしたことばを焼いて後、エレミヤに次のような【主】のことばがあった。 36:28 「あなたは再びもう一つの巻き物を取り、ユダの王エホヤキムが焼いた先の巻き物にあった先のことばを残らず、それに書きしるせ。 36:29 ユダの王エホヤキムについてはこう言え。【主】はこう仰せられる。あなたはこの巻き物を焼いて言った。『あなたはなぜ、バビロンの王は必ず来てこの国を滅ぼし、ここから人間も家畜も絶やすと書いたのか』と。 36:30 それゆえ、【主】はユダの王エホヤキムについてこう仰せられる。彼には、ダビデの王座に着く者がなくなり、彼のしかばねは捨てられて、昼は暑さに、夜は寒さにさらされる。 36:31 わたしは、彼とその子孫、その家来たちを、彼らの咎のゆえに罰し、彼らとエルサレムの住民とユダの人々に、彼らが聞かなかったが、わたしが彼らに告げたあのすべてのわざわいをもたらす。」
注解   (聖書の達人2聖書注解)
王は巻物を持って来させ,首長たちの前で読ませた(21).ところが王はその言葉に怒り,巻物を数段ごとに切り刻み,暖炉の火にくべてしまった(22‐23).王とその家来は神の言葉を聞いても悔い改めなかったのである(24).巻物を燃やすことに反対した人々もいるにはいたが,それは少数意見で(25),バルクとエレミヤに逮捕状が出された(26) 〈冬の家〉(22).冬用の,日当りのよい,暖炉が設置されている部屋.〈3,4段〉(23).巻物は,横20㎝,縦30㎝くらいの長方形を一段とし,横に5,6mの長さにはり合せてあった.〈書記の小刀〉.パピルス紙を切るため,また葦の茎のペン先をとがらせるために用いられたナイフ.〈家来〉(24).王に仕えていた直属の部下たち.〈衣を裂こう〉.悔い改めの表現.ヨシヤ王は衣を裂いたが(Ⅱ列22:11),エホヤキム王は衣の代りに巻物を裂いた.〈主はふたりを隠された〉(26).奇蹟的に隠されたというより,2人を守られた,の意 巻物が燃やされると神の言葉は消えてしまうというわけではない.神は後の世のために,記された御言葉を残された そのような出来事の後(27),神はエレミヤにこれまで啓示されたことを再び書き記すよう命じられた(28).エレミヤの預言に怒ったエホヤキム王には(29),後継者がとだえ,神のさばきが下される(30).彼だけでなく,その一族,国民全体にも同様にさばきが下される(31)

水曜日 語られたみ言葉の権威
問4
【口語訳】 エレ 38:1-4
38:1 マッタンの子シパテヤ、パシュルの子ゲダリヤ、セレミヤの子ユカル、マルキヤの子パシュルはエレミヤがすべての民に告げていたその言葉を聞いた。 38:2 彼は言った、「主はこう言われる、この町にとどまる者は、つるぎや、ききんや、疫病で死ぬ。しかし出てカルデヤびとにくだる者は死を免れる。すなわちその命を自分のぶんどり物として生きることができる。 38:3 主はこう言われる、この町は必ずバビロンの王の軍勢の手に渡される。彼はこれを取る」。
38:4 すると、つかさたちは王に言った、「この人を殺してください。このような言葉をのべて、この町に残っている兵士の手と、すべての民の手を弱くしているからです。この人は民の安泰を求めないで、その災を求めているのです」。 【新共同訳】 エレ 38:1-4
38:1 マタンの子シェファトヤ、パシュフルの子ゲダルヤ、シェレムヤの子ユカル、マルキヤの子パシュフルは、エレミヤがすべての民に次のように語っているのを聞いた。 38:2 「主はこう言われる。この都にとどまる者は、剣、飢饉、疫病で死ぬ。しかし、出てカルデア軍に投降する者は生き残る。命だけは助かって生き残る。 38:3 主はこう言われる。この都は必ずバビロンの王の軍隊の手に落ち、占領される。」 38:4 役人たちは王に言った。「どうか、この男を死刑にしてください。あのようなことを言いふらして、この都に残った兵士と民衆の士気を挫いています。この民のために平和を願わず、むしろ災いを望んでいるのです。」 【新改訳改訂3】 エレ 38:1-4
38:1 さて、マタンの子シェファテヤと、パシュフルの子ゲダルヤと、シェレムヤの子ユカルと、マルキヤの子パシュフルは、すべての民にエレミヤが次のように告げていることばを聞いた。 38:2 「【主】はこう仰せられる。『この町にとどまる者は、剣とききんと疫病で死ぬが、カルデヤ人のところに出て行く者は生きる。そのいのちは彼の分捕り物として彼のものになり、彼は生きる。』 38:3 【主】はこう仰せられる。『この町は、必ず、バビロンの王の軍勢の手に渡される。彼はこれを攻め取る。』」 38:4 そこで、首長たちは王に言った。「どうぞ、あの男を殺してください。彼はこのように、こんなことばをみなに語り、この町に残っている戦士や、民全体の士気をくじいているからです。あの男は、この民のために平安を求めず、かえってわざわいを求めているからです。」 注解   (聖書の達人2聖書注解)
エレミヤに反感を持つ首長たちは,エレミヤが次のように語るのを聞いた(1).エルサレムは滅ぼされるので,ユダの民はバビロンに逃れる以外生き残るすべはない(2).そのエルサレム崩壊はバビロン王によって必ずもたらされる,と(3).そのようなメッセージを聞いた首長たちは,エレミヤを有害な人物と考え,処罰するよう王に求めた(4).
【口語訳】 ヨハ 3:1-10
3:1 パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。 3:2 この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。 3:3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。 3:4 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。 3:5 イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。 3:6 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。 3:7 あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。 3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。 3:9 ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。 3:10 イエスは彼に答えて言われた、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。 【新共同訳】 ヨハ 3:1-10
3:1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。3:2 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」 3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 3:4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」 3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。 3:6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。 3:7 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。 3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」 3:9 するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。 3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。 【新改訳改訂3】 ヨハ 3 :1-10
3:1 さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。 3:2 この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」 3:3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」 3:4 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」 3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。 3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。 3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。 3:8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」 3:9 ニコデモは答えて言った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」 3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。
注解   (聖書の達人2聖書注解)
前章末尾の不十分な信仰を言い表した人々を代表するかのように,ニコデモが登場する.物語はこのニコデモのなす誤解に満ちた質問にイエスが答えるという形で進められる 〈ニコデモ〉(1)は本書にだけ登場する人物であるが,徐々にイエスとのかかわりを深めていく(7:50,19:39).〈指導者〉(1)と訳されている〈ギ〉アルコーンは,7:48で「議員」と訳されているように,ここでもユダヤの最高議会サンヘドリンの議員を指す.〈夜〉(2)にイエスのもとを訪ねたことがわざわざ記される(参照19:39).議員という立場上,人目を避けてのことであろう 早速〈神の国を見る〉(3),〈神の国にはいる〉(5)ということが話題の中心になる.神の国(神の王的な支配)という終末的な概念は,イエスの宣教の中心を成すものであったが(マコ1:15),本書ではここにしか出て来ない.しかし,それはしばしば〈永遠のいのち〉(15)という概念と互換性をもって語られ(マコ10:17と同10:23を比較),本書ではこちらのほうが多用される.神の国ということに関して,熱心党は武力をもって立ち上がる時それを招来し得ると考え,パリサイ派は律法の遵守によってもたらし得ると考えていた.しかし,イエスは〈新しく(あるいは「上から」)生まれ〉る(3,7)という受動的な概念を導入された.〈ギ〉アノーセンには「新たに」と「上から」(31,19:11,23)の両方の意味があるので,本書の本来の読者は「神によって生まれた」(1:13)という光のもとでそれを理解して,「上から」すなわち「神から」の意味にとったであろう.けれどもニコデモはそれを〈もう一度,母の胎にはいって〉(4)と理解したのだから,「新たに」という意味にとったのである 〈水と御霊によって生まれ〉る(5)が具体的に何を指すのか,解釈が分れる.本書が今まで述べてきたところから理解すれば,〈水〉はバプテスマのヨハネの洗礼を意味し,〈御霊〉はイエスによる霊のバプテスマを通して与えられる霊的な新生を意味するととるのが最も自然である.しかしながら,本書の著者も読者もキリスト教の洗礼を知っているわけであるから,ここでの〈水と御霊〉という表現にキリスト教の洗礼を暗に読み取らせようとしているのかもしれない(本書には洗礼と聖餐に関する言及がないが,そのことがヨハネが反礼典主義の傾向を持っていたことを示すのか,それともある記事の中にそれらを暗示しているのか,見解の分れるところである.恐らくヨハネはここで洗礼を念頭に置いていたであろう).なお,〈水と御霊〉の組合せについては,エゼ36:25‐27を参照.また,Ⅰコリ6:11,テト3:5も参照
【口語訳】 ヨハ 6:51-66
6:51 わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。 6:52 そこで、ユダヤ人らが互に論じて言った、「この人はどうして、自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか」。 6:53 イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。 6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。 6:55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。 6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。 6:57 生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。 6:58 天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」。
6:59 これらのことは、イエスがカペナウムの会堂で教えておられたときに言われたものである。 6:60 弟子たちのうちの多くの者は、これを聞いて言った、「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか」。 6:61 しかしイエスは、弟子たちがそのことでつぶやいているのを見破って、彼らに言われた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。 6:62 それでは、もし人の子が前にいた所に上るのを見たら、どうなるのか。 6:63 人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。 6:64 しかし、あなたがたの中には信じない者がいる」。イエスは、初めから、だれが信じないか、また、だれが彼を裏切るかを知っておられたのである。 6:65 そしてイエスは言われた、「それだから、父が与えて下さった者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである」。 6:66 それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。 【新共同訳】 ヨハ 6:51-66
6:51 わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」 6:52 それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。 6:53 イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。 6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。 6:55 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。 6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。 6:57 生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。 6:58 これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」 6:59 これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。 ◆永遠の命の言葉 6:60 ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」 6:61 イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。 6:62 それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。 6:63 命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。 6:64 しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。 6:65 そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」 6:66 このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。 【新改訳改訂3】 ヨハ 6:51-66
6:51 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」 6:52 すると、ユダヤ人たちは、「この人は、どのようにしてその肉を私たちに与えて食べさせることができるのか」と言って互いに議論し合った。 6:53 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。 6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは

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